心理学 総合案内 こころの散歩道/ 犯罪心理学 /少年犯罪の心理 /平気で「いのち」を奪う子ども達 (新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科・碓井真史)
平気で「いのち」を奪う子どもたち少年犯罪、少年殺人犯の変遷といのちの輝き |
2005.6.15
毎年100人の少年殺人犯が逮捕されています(昭和30〜40年代には300〜400人の少年殺人者が逮捕されていましたが)。現代の少年殺人犯中には、大人から見て動機がわからない、どうしてそんなことで人を殺すのかと感じる子どもたちがいます。
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「いのち」は大切なものだと、普通の大人なら思うでしょう。子どもたちが、その大切な「いのち」を奪うからには、それ相応の大きな理由、動機があるはずだ、大人たちはそう考えます。
しかし大人たちから見ればほんの些細な理由や、理解できない動機で、殺人を犯す少年たちがいる。以前であれば、「理由なき犯行」、「動機なき殺人」と呼ばれていた犯罪です。
少年殺人犯の中には、深い精神的な病理を持つ者もいます。たとえば神戸小学生殺害事件(酒鬼薔薇事件)は、「快楽殺人」だったといえるでしょう。快楽殺人者は、人を傷つけ殺すことに性的な快感を得ています。平気でいのちを奪う子どもたちが、このような病的な異常性をもった少年であれば、それは現代社会を映すような現象というよりも、あくまでも特殊な事例と考えるべきでしょう。
しかし、恨みや金目当てなどこれまでの常識的な意味での犯行動機もなく、また精神科的疾病もない「正常な無動機犯罪」が増加しています。警察庁も「動機が判然としない犯行が目立つが最近の特徴」と述べています。
日本がまだ貧しかったころ、生活に必要なものを得るために行われたのが、「生活型」犯罪です。しかし、社会の発展と共に生活型犯罪は減少し、「遊び型」犯罪が増加していきました。スリルを求めての万引きや、犯罪を楽しむようなタイプです。
この遊び型犯罪が、現代社会では凶悪犯罪においても見られるようになってきています。「面白そうだから」という理由だけで、死に至るまで暴力をふるってしまうこともあります。
さらに、現代の高度情報化社会で実体験不足のまま成長した少年達の中には、「ゲーム感覚」でいのちを扱ってしまう少年たちもいます。まるで推理小説のアイデアを練るように殺人計画をたてます。ただし逃亡計画がきわめてお粗末なことも多いのすが。
彼らは重大な犯罪を犯しながら、罪悪感に乏しく現実感がありません。当事者意識も低いのです。いのちを持った人間を、まるで物のように扱っています。
殺人ではなくネット集団自殺の例でも、インターネット上で知り合った7人の男女が集団自殺したケースでは、「7人の集団自殺が成功したら(過去最高の人数だから)すごいね」といった発言記録が残されています。まるで、何かのプロジェクトの準備を楽しみ、達成感を味わおうとしているようなゲーム感覚です。
生活型、遊び型と変化してきた犯罪が、今や「自己確認型」と呼ぶべき犯罪に変化してきたと、犯罪精神医学者の影山任佐氏は語っています。
自己確認型犯罪とは、自己の存在感、支配力、顕示欲を満たすための犯罪です。 現代の子どもたちは、あふれるほどの物質的豊かさの中、満たされない思いを持って苦しんでいます。
彼らは、自分自身の希薄な存在感「空虚な自己」を抱えているのです。少年たちは語ります。「万引きをしているときだけ生きている実感がする」。「リストカットをして、流れる赤い血を見ているときだけ、自分が生きていると感じる」。
「空虚な自己」と同時に「幼児的万能感」を持つ少年たちも多くいます。彼らは、下積みや努力が苦手です。実は本当に自信があるわけではなく、隠された強い不安と劣等感があるからこそ、子供じみた思い上がりから卒業できないのです。
彼らは、歪んだ自己愛の持ち主だとも言るでしょう。自分を愛すること自体はもちろん大切なことですが、彼らの歪んだ自己愛は、他者を見下しさげすむことで成り立っています。
このような肥大した自己愛を持つ少年たちは、傷つくことを極端に恐れています。傷つけられ、自己愛が脅かされるとき、彼らは周囲も自分自身も驚くほどの怒りと攻撃心を爆発させてしまします。
いわゆる「キレた」状態で刃物を振り回すこともあります。キレた心理状態で犯罪計画を練ることもあります。傷ついた少年たちは、柔軟に物事を考え一歩ずつ問題解決を図ることができず、「一発大逆転」をねらってしまうのです。
佐賀県で発生したバスジャック事件の少年は、高校を中退し、親にも見放されたと思い込み、周囲の人間を見返すために、バスジャックを思いつきます。大きなバスを思い通りに動かし、人質の前では王のように振る舞え、警察もマスコミも低姿勢で近づいてくる。長時間にわたり報道され、非情に目立つことができるという、劇場型犯罪でです。
彼は、大きな刃物を持っていましたが、乗客が指示に従っていたときには、紳士的な態度だったそうです。けれども、乗客が少年の指示に従わなかったとき、彼は言葉を荒げ、凶器を振り下ろしました。
マスコミを意識し、犯行声明文を残すような犯罪も、まるで観客を意識しているような「劇場型犯罪」です。日常的な生活で自己愛が満たされなくなった彼らは、犯罪を通してスポットライトを浴びようとします。彼らにとって、凶悪犯罪はかっこよいものであり、過去に大きく報道された犯罪者は、目標であり、ライバルなのです。
優等生が突然殺人を犯すような、いのちを粗末にする凶悪少年殺人犯は、孤独と絶望感に押しつぶされた少年たちです。自分の人生も、家族も、学校も、この社会全体が、もうどうなっても良いと感じています。
学校を退学となってもうだめだと絶望する。いじめられている自分はもうだめだと金属バットをふりまわす。そして、隣家の下着泥棒が発覚しそうになってもうだめだと思い込み、一家皆殺しを図った少年もいました。
このような少年たちに、いのちを大切にせよと説教しても効果がありません。重い刑罰を予告しても抑止力にはならないでしょう。彼らの殺意を止めるのは、「社会的絆(ソーシャルボンド)」です。
愛し愛される家族や友人がいることや、失いたくない夢や希望があること、つまり犯罪によって失うには惜しいと考えられるものの存在が、社会的絆です。
犯罪心理学者の小田晋氏は、「殺人の最大の抑止力になるのは宗教である」と述べています。ここでいう宗教、神仏とは、おそらくただ怖い罰を与えるような存在のことではないでしょう。むしろ、愛に満ちた神のイメージではないでしょうか。死刑になることも、地獄に落ちることすらも、もうどうでもよいと思っている少年たちを止められるのは、心を断ち切る罰ではなく、心をつなぐ絆となる愛と信頼なのです。
犯罪抑止のために少年たちに伝えるべきメッセージは、重い罰による脅しの言葉ではなく、「君もひとりではないし、君も愛されている」というメッセージなのです。
長崎市で発生した長崎男児誘拐殺人事件では、少年は幼児を連れ去ろうとして防犯カメラに映ってしまったことに気づきます。ここで彼が恐れたのは、逮捕ではなく、母親からの叱責でした。なんとかしてごまかさなくてと必死になって考えるうちに、理性を失い、彼は幼児をビルから投げすてます。
この少年は、軽度の発達障害があったこともあり、幼いころから不器用だったようです。そこで母親は、子どものことを心配し、一生懸命訓練をしました。その結果、母親の思いとは裏腹に、少年は母親を尊敬はするものの、恐れるようになってしまったのです。
子どもを励まし、しつけや訓練をすることは良いことです。ただし、その際に忘れてはならないことは「たとえそうでなくても」という心ではないでしょうか。たとえどんなに失敗し挫折しても親の愛は微塵も下がらないと、子どもに実感として伝わっていることです。
勉強につまずき、仕事に失敗し、あるいは犯罪的なことをしてしまっても、それでもなお守られ支えられていると感じられることが、自暴自棄になり凶悪犯罪に走ってしまうことを押しとどめます。人々に守られて育った子は、人々を守るようになります。
また、佐世保市で発生した小6女児殺害事件での小学校6年生の女子による同級生殺害事件では、仲の良かった友人とのインターネット上のトラブルをきっかけとして、殺人にまでエスカレートしています。加害者の少女は、幼いころから自分の感情を素直に表現できない環境にあったようです。その彼女にとって、友人との人間関係のトラブルは、自分の存在を揺るがすような出来事だったことでしょう。殺人は、しばしば親しい人間関係の中で起きます。
子どもたちの人間関係能力は低くなり、友人関係に高い不安を持っている子どもたちは多いのです。友人との関係は良好に保ちたいと願うけれども、しかしたとえそうでなくとも、温かな家族がいて、他にも安心できる人間関係があれば、友人との関係にだけとらわれることはなく、事件は防止できていたかもしれません。
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「いのち」とは、生物学的な意味だけのものではありません。いのちとは、つながっているもの、関係性の中に存在しているものではないでしょうか。
フロイトは、「健康な人とは愛することと働くことができる人だ」と語っています。これは言葉をかえていえば、誰かを必要とし、誰かに必要とされるこでしょう。人は愛されることを通して自分を愛することを知り、人を愛することもできるようになります。愛と信頼感による人間関係の中に置かれて、人ははじめていのちの大切さを知るのではないでしょうか。
人はまた生物として生きるだけではなく、自分のいのち、自分の存在を人間関係の中で活かしたいと願うでしょう。社会心理学的に言えば、人は外発的動機づけ(お金、食べ物、ごほうびなどを目指す動機)だけでは満足できず、内発的に動機づけられ、自己実現を目指す存在です。人は自分らしく生きたいと願い、社会に貢献できる自分の役割を求めています。
内発的動機づけが高まるためには、努力が報いられる環境と、束縛から解放された自己決定感が必要です。さらにその土台として、親や教師のような重要な他者から受け入れられていることが必要となります。人は、愛されている安心感の中で、チャレンジ精神が高まり、いのちを輝かせることができるのです。
内発的動機づけの高い人は、他者の内発的動機づけをも高めようとすることがわかっています。関係性の中で自分の「いのち」を輝かし、活用できている人こそが、他者のいのちをも大切にすることができるのです。
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BOOKS
小田晋著 少年と犯罪 青土社 2002
影山任佐著 犯罪精神医学研究―「犯罪精神病理学」の構築をめざして 金剛出版 2000
間庭充幸著 若者犯罪の社会文化史―犯罪が映し出す時代の病像 (有斐閣選書) 有斐閣 1997
福島章著 殺人者のカルテ―精神鑑定医が読み解く現代の犯罪 清流出版 1997
碓井真史著 『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』 主婦の友社 2001
碓井真史著 『誰でもいいから殺したかった! 追い詰められた青少年の心理』 ベスト新書2008
「月刊児童心理」2005年2月臨時増刊号「こどもに「いのち」をどうおしえるか」金子書房
このページのコンテンツは、金子書房発行「月刊児童心理」2005年2月臨時増刊号「こどもに「いのち」をどうおしえるか」に掲載された原稿を加筆修正したものです。
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