看護師
北越高等学校出身
看護学科 2012年度卒業
社会医療法人桑名恵風会 桑名病院 勤務
「看護師になりたい」。熱い想いだけを持って青陵大学に飛び込んだ自分。ただ、臨地実習がはじまると、足どりは重くなっていきました。患者さんへの対応、1日の振り返り、明日の予習。緊張感と忙しさで押しつぶされそうに。そのとき、ふと思ったのです。「“うまくいかない自分”から逃げているだけだ」と。わからないことをわからないままにしていたことに気づき、私はこころを入れ替えました。
勤務しているのはリハビリテーション病棟。社会復帰をめざす回復期の患者さんを援助しています。まだ1年目。知識も経験もまだまだ足りませんが、看護師になって良かったと思うことがありました。後遺症で会話ができない患者さんの処置をしていたときです。必死に口元を動かしながら「ありがとう」と。胸が熱くなりました。前向きにがんばる患者さんの姿を見るたびに、やる気がこみ上げてきます。
緊迫していても、笑顔を絶やさない。日々の業務に追われていても、常に患者さんのことを考えている。そんな先輩方の仕事ぶりを今は見習い、吸収しているところです。めざしているのは、悩んでいることを素直に打ち明けてもらえる看護師。長い道のりになってもがんばっていくつもりです。患者さんを支える私を見て、一人でも多くの人がこの新潟で、看護師になりたいと思ってもらえるように。
保健師
新潟県立村上高等学校出身
看護学科 2011年度卒業
五泉市役所 勤務
病院での臨地実習に参加したときのことです。受け持った患者さんは、「放っておいてくれ」と言わんばかりの態度でした。粘り強く声がけをつづけていると、ある日「冷たくしてごめんね。本当はうれしかった」と話してくれたのです。痛みや不安と闘っている相手に、こころを開いてもらうためには、相手に寄り添うこと、興味を持つことが大切。コミュニケーションの意味を学んだ貴重な体験でした。
市の健康福祉課で病気の予防に取り組んでいます。1年目から責任者を務めるプログラムが“糖尿病の予防教室”。議論しながら情報交換をしてもらう“グループワーク”はとても効果的だと感じています。生活習慣の改善は、ひとりではがんばり切れないもの。同じ境遇の人から刺激を受け、連帯感が生まれる場にできるよう計画しています。教室が終わる頃、参加者の明るくなった表情を見ることが、私のやりがいです。
担当する五泉市の橋田地区は、地区活動が活発なエリアです。敬老会、小学校への作品展参加、ひとり暮らしをするお年寄りへのクリスマスケーキの宅配…。保健師として一緒に計画を立てる機会もあり、地域の人たちと関われる楽しさがモチベーションになっています。心がけているのは、いきいきとした地域づくりのきっかけに自分がなること。自ら健やかさを保っていける人を増やしていきたいです。
助産師
新潟県立三条東高等学校出身
看護学科 2011年度卒業
長岡赤十字病院 勤務
4年生のときです。産前から産後まで母子を支え、経過を学んでいく実習がありました。一緒につわりを乗り越え、分娩室に入り、赤ちゃんを取り上げる。元気に生まれてくれたときのよろこびは、今も忘れられません。出産は、決して順調に進むわけではなく、いつも危険と隣り合わせです。大事なことは、いかに異常を察知できるか。責任の大きさを学んだ経験が、助産師となった今の私に生きています。
切迫早産の危険など異常が見つかったお母さんの出産を看る、新潟県の“総合周産期母子医療センター”に指定されていたことが、この病院を選んだ理由です。心がけているのは“もしも自分だったら”と常に考えること。同じ目線に立ってこそ、ベストな処置やアドバイスができると思うからです。母子がいちばん辛いときに寄り添い、ともに苦難を乗り越えていく。そこに大きなやりがいを感じています。
この病院には、私の地元である三条市からも母子が搬送されてきます。すべてのお母さんが安全に、安心して子どもが産める新潟にしていきたいですね。お産は、一生のうちに何度も経験できるとは限りません。そして、妊婦となった女性にはそれぞれに“こんな出産がしたい”という理想があります。満足できるお産に近づけるために、助産師としてできることは何か。考えつづけていくつもりです。
養護教諭
新潟明訓高等学校出身
看護学科 2012年度卒業
新潟市立南浜小学校 勤務
ただ相手の意見を聞くのではなく、本人がどう思っているのかを考える癖がつきました。グループワーク形式の授業が多かったからだと思います。大勢で話をしているときは賛成の立場でも、実は疑問を感じていたり、それを口に出せない人もいると気づいたからです。言葉の裏側にある想いに耳を傾け、背景を知ること。養護教諭として子どもたちと向き合う上で大切なスタンスを学ぶことができました。
「痛い」と言って保健室にきたとしても、病気やケガとは限りません。話を聞いてもらいたいときや教室にいたくない不安や悩みをもつケースも少なくないからです。心がけているのは、まずは安心させて、温かい気持ちになれるコミュニケーション。必ず名前を呼んで、背中をさすったり、握手をしたり。どんなに泣いていても、出ていくときには笑顔になれる。そんな保健室にしたいと思っています。
信頼されるためには、的確な応急処置のスキルが必要です。そして、生徒のこころをやさしさで包める存在であることも大切。ただ、“人に迷惑をかけることは許さない”といった厳しさを教えることも忘れてはいけない。そういう意味では、保健室も“教室”です。もうひとつの生徒の居場所を預かる教育者として、心身ともにたくましい人間を、自分も生まれ育った新潟に送り出していきたいですね。
福祉行政
新潟県立巻高等学校出身
福祉心理学科 ソーシャルワークコース 2012年度卒業
新潟県新星学園 勤務
ソーシャルワーカーをめざして、私は“相談支援”のスキル習得に励んでいました。不登校や虐待の事例などを題材に、支援の方法をグループで繰り返しディスカッション。学んだことは、相手が主体的に話す状況をつくることの大切さでした。“自分の悩みが何なのか気づいてもらう”ことが重要だからです。そして、相談支援は話を聞くことが終わりではなく、聞くことからはじまる。そう気づきました。
現在は、新潟県が運営する知的障害児の入所施設で指導員を務めています。一緒に遊んだり、ご飯を食べたり。家庭環境に問題を抱えた児童と生活をともにしながら自立を支援する仕事です。小さな子もいれば、思春期の青年もいます。育ってきた環境も、その日の精神状態も、一人ひとり違います。こころの距離感をうまく保ちながら、成長期の児童が持っている可能性を引き出していきたいと思う毎日です。
普段心がけているのは、児童にたくさん話をさせること。あくまでも自分は聞き役に。指導員の中ではいちばん若手なので、常に相談しやすい存在でありたいですね。働きはじめて1年。今後は、児童相談所や保健所、県立病院などに勤務することもあるはずです。ソーシャルワーカーとして、県民からいただいた相談の機会をまっとうすること。それが、新潟を支えることになる。使命感を感じています。
介護福祉士
新潟青陵高等学校出身
福祉心理学科 福祉ケアコース 2012年度卒業
社会福祉法人更生慈仁会 はまゆう 勤務
4年間で学んだことをひと言で言うなら、“相手を知ること”の大切さですね。悩みを相談する相手の言葉、話し方、表情、しぐさ…。その裏側には、どんな想いが詰まっているのか。本当に望んでいるのは、どんな支えなのか。福祉や心理学を専門的に学び、介護の実習先で多くの人々と出会う中で、相手を表面的にしか理解してこなかった自分に気づいたこと。私にとって大きな収穫でした。
介護度の高い方から自立して暮らせる方まで、いろんな方の生活全体を援助しています。やりがいは、お一人お一人の“反応”です。入浴を嫌がっていた方が「気持ち良かったよ!」とよろこんでくれる。すると私も、「この方をもっと笑顔にするにはどうすれば…」と考えたくなって、やりたいことがどんどん増えていきます。ありがとうの数だけ、利用者さんも自分も幸せになれる。そう実感しています。
私には、小さな頃いつも遊んでくれた明るい祖父母がいました。家に集まってくる近所のお年寄りとも、笑いの絶えない時間をたくさん過ごしました。そんな楽しい思い出が、介護福祉士をめざすきっかけに。地元にあるこの施設で働くことで、私を育ててくれたすべての人たちにお礼がしたいと思っています。老いは誰もが通る道。その人らしく、安心して生きていける新潟にしていきたいと思っています。
保育士
新潟県立柏崎高等学校出身
福祉心理学科 子ども発達サポートコース 2012年度卒業
社会福祉法人明照園 明照保育園 勤務
保育士は、発達していく大事な時期を預かる仕事。責任の重さを感じたのは、保育園での実習のときでした。何気なく物を投げたり、たまたま汚い言葉づかいになったとしても、子どもはすぐ真似します。常に自分が“手本”になっている。身の引き締まる思いでした。そして、学んだことは“自分が楽しむ”ことの大切さ。そうじゃないと子どもだって楽しくない。一緒に遊んだ園児が教えてくれました。
1歳児を中心に、各クラスの担任の先生をサポートしています。はじめての集団生活の中で、人見知りすることが減ってきたり、自分のおむつを取りに行けるようになったり。成長の瞬間を見たときが、いちばんやりがいを感じるときですね。小さな子どもたちは、何をするのもはじめての経験。だからこそ“やる気”をどれだけ引き出せるかが大事。いつも心がけているのは、“ほめて伸ばす”ことです。
勤めているのは、自分が卒園した保育園。いい思い出がたくさんあります。だから園児にもつくってあげたい。私はスポーツが好きなので、ボール遊びで盛り上がることが多いのですが、目標があります。それは、みんなで動きまわりながら、一日中笑って過ごせるクラスをつくること。元気な子どもを育てることは、地域を明るくし、街全体を楽しくします。笑い声の絶えない柏崎にしていきたいです。
進学
新潟県立高田北城高等学校出身
福祉心理学科 心理カウンセリングコース 2011年度卒業
新潟青陵大学大学院 臨床心理学研究科 2年
成長のきっかけになったのは、精神科を退院した方のこころの援助に取り組んだ実習です。社会復帰にあたっての悩みや不安を聞き、どう病気と付き合っていくかを一緒に考えていった4週間。その中で気づいたのは、自分のことがよくわかっていないと、冷静に相手の立場に立てないということでした。大学時代の収穫は、客観的な視点で“外から自分を見る”ことができるようになったことです。
臨床心理士になりたいと思っていたので、入学したときから大学院へ進もうと決めていました。敷地内にある“臨床心理センター”では、悩みの相談に訪れる一般の方と1対1で、こころの援助に取り組むことができます。一緒に考えていく経験が積めることは、自分にとって大きいです。外から自分を見る力に加えて、相手や周囲を客観的に見るというカウンセリングに必要な力が身についてきたと思います。
人はみな、悩みながら人生を過ごしていくもの。うまく自分の悩みと付き合いながら、愛着のある新潟で生きていけるように、こころの健康を支えていきたいですね。修了後は、病院の精神科病棟で働くことが決まりました。めざしているのは、患者さんと一緒によろこび、一緒に悲しむことのできる臨床心理士。青空がキレイと聞いたら、自分もキレイだと素直に思える。その感覚が大事だと思っています。
総合職
新潟県立柏崎高等学校出身
福祉心理学科 子ども発達サポートコース 2012年度卒業
柏崎信用金庫 勤務
入学して良かったと思うのは、卒業前に“社会の声”を聞けたことです。現場で起きていることは、現場でしか学べません。実習先の保育園では保護者や先生の苦労やよろこびを知り、障がい者施設ではご家族や援助するスタッフの想いにもふれました。それが自分の進路を考え直すきっかけに。最初は保育士をめざしていましたが、もっといろんな人の役に立てる仕事に就きたいと思うようになりました。
地元の信用金庫を選んだのは、地域密着で幅広い年代の人々を支えていけるからです。“地域との共生”という経営理念にも共感しました。働きはじめて2年。現在はお客様の預金を扱う業務を担当しておりますが、老後の資金もあれば、子育てのための積立もあります。お客様からお預かりしているものは「お金」ですが、そこに込められた多くの人のいろんな「想い」を知り、責任の重さ以上に、大きなやりがいを感じています。
今の目標は、お客様と直接コミュニケーションがとれる窓口業務を任せてもらえる自分になること。一日も早く何でも相談される身近な存在になりたいと思っています。生まれ育った場所に戻ってこれたわけですから、大学で4年間学んできたことを地元のために活かしていくつもりです。今まで私を支えてくれてきた家族、友だち、そして柏崎の人たちに恩返しがしたい…今はそんな気持ちでいっぱいです。
営業職
新潟県立巻高等学校出身
福祉心理学科 心理カウンセリングコース 2012年度卒業
あおやまメディカル株式会社 勤務
岩手県陸前高田市での震災復興ボランティアに参加したとき、がれきの撤去作業を依頼してきた方と直接話す機会がありました。家や家族や友人を失った悲しみを、まちを復興させることで乗り越えたい。そんな心情にふれたとき我に返りました。「どんな作業にも、背景には必ず特別な想いがある」。相手の価値観や人生まで想像し、理解する大切さを学んだこの体験は、今の自分にも生かされています。
車椅子や特殊浴槽など、福祉用具を提供する企業に勤めて1年。担当するお客様のご自宅を訪問し、お住まいのバリアフリー化もお手伝いする仕事です。お客様に育ててもらっている勉強中の身にも関わらず、心の底から感謝される。そこにやりがいを感じています。部屋の中でさえ移動できなかった方が、移動できるようになる。小さなことが大きな幸せにつながる提案を、これからもしていきたいですね。
“介護難民”と呼ばれる人々も多い今、お客様もほとんどはご高齢の方々です。いつも心がけているのは、本当の悩みは何なのか、会話の中から抱えている問題を把握して解決していくこと。住環境の問題だけではなく、こころの問題も含めてです。愛着があり住み慣れた自宅を、地元を、新潟を、離れることなく、安心して人生をまっとうできる。今の仕事は、確実にその役に立てると感じています。
看護師
新潟県立新潟西高等学校出身
看護学科 2011年度卒業
済生会新潟第二病院 勤務
初めて臨地実習に参加したときのことです。患者さんとの会話さえままならない自分。それでも「体調はどうですか?」「ご飯食べましたか?」と必死に声かけをしていたのですが、あるとき付き添う担当の先生に指摘されました。「自分が知りたいことばかり話しかけていない?」、と。患者さんのこころを引き出すことの大切さを忘れていたのです。良い看護とは何か、考えさせられた私の原体験です。
1年目の現在は、院内の混合病棟で看護にあたっています。担当する患者さんが刻々と変わるので、疾患も重症度もその都度異なります。そんな状況の中で心がけているのは、ご本人がこころの中で何を求めているのか察知すること。病名は同じでも、抱えている痛みは患者さんによって違います。“一人ひとりに寄り添える看護”を追求したいので、今の働き方にとてもやりがいを感じています。
病院がある新潟市は、私が生まれ育って今も暮らしている思い入れの深い場所。地元の人たちが大好きで、温かさにいつも癒されるのですが、ずっとお世話になってきたからこそ“看護で恩返しがしたい”という想いがあります。大学時代にボランティアで、中学生や高校生を前に“なぜ看護師になりたかったのか”を講演したときに語った、自分の中に芽生えた信念や自信を忘れずにこれからもがんばります。
助産師
新潟県立巻高等学校出身
看護学科 2010年度卒業
レディスクリニック石黒 勤務
助産師の役割は、赤ちゃんを取りあげることだけじゃない。産前の妊婦健診や産後の授乳指導、退院後の経過観察や社会復帰の相談にのることも求められている援助。入院期間中に留まらない助産師さんの仕事ぶりを実習先の産科で垣間見ることができたことは、自分にとって大きなプラスでした。入学した頃は漠然と医療職に憧れていたのですが、このしあわせな職場で働こうと思うきっかけになりました。
心がけているのは、“親しみ”をもって自ら声をかけること。多くの不安や悩みを抱える初産のお母さんも多いので、医療者である前に“こころが近い相談相手”でありたいと思っています。1ヵ月後健診で再会したとき、「湯川さんですよね?あのときはありがとう!」と名前を覚えていてくれる方もいます。「自分のケアは間違っていなかった」と自信が湧きますし、やりがいを感じる瞬間ですね。
すでに80例以上の出産に立会いましたが、あらためて感じることがあります。それは、産声をあげた赤ちゃんとお母さんが対面して最初に過ごす1週間に、自分がかかわっているという責任です。退院後の育児について学んでもらう大事な期間でもありますし、新しい人生がこの三条のクリニックからはじまるわけですから、健やかな状態で母子を送り出したい。がんばろうといつも気合いが入ります。
保健師
新潟県立村上高等学校出身
看護学科 2011年度卒業
村上市役所 勤務
保健師1年目の私にも、住民の方々が声をかけてくださる。そのこと自体に感謝しないといけない。期待に応えるために、「ダメだったらどうしよう」ではなく「とにかくやってみよう」と考えられる自分になれたのは、青陵大学のおかげです。実習で同行した保健師さんの働きぶりや、同じ目標をめざす仲間のポジティブな姿勢に刺激を受けて、積極的に行動できる自分に生まれ変わることができました。
私が担当しているのは村上市の上海府地区です。この地区でただひとりの保健師としてどんな働きかけをするか、すべて任せてもらえるところにやりがいを感じています。まだ1年目なので、今は一軒一軒ご家庭を訪問しながら、どんな援助を求められているのか、そのニーズを知ることがいちばん大切な仕事です。そして、自分のことも知ってもらうこと。こころを開いてもらえなければ、保健師は務まりません。
この地区には集落ごとに、高齢者の方々がレクリエーションなどを楽しめる“茶の間”という集会所があります。ただ、特に男性は自宅に引きこもりがちで、外に出歩かない方が多いとわかりました。気軽に足を運べる新しい交流の場を、自分で企画をして実現することが来年の目標です。すべての人に健康な生活を送ってほしい。そんな想いが強いのは、村上が私の生まれ育った地元だからだと思います。
養護教諭
新潟県立新発田南高等学校出身
看護学科 2011年度卒業
南魚沼市立大巻小学校 勤務
2週間ある養護実習はもちろん、参加した学習支援ボランティアも貴重な体験になりました。保健室を訪れた児童が“成長していく姿”を追うことができたからです。2年間新潟市内の小学校でお手伝いをしたのですが、最初はケガをして泣いてばかりいた児童が、友だちのケンカを仲裁できるほど精神的にも育っていく。“日々の関わり”を大切にしていた養護教諭の先生のそばで多くのことを学びました。
廊下を走ってケガをしたら、同じことを繰り返さないためにどう指導するか。養護教諭になって痛感したのは、優しさと厳しさの両方をもって教える難しさです。ただ、泣いて興奮している児童を安心させるためにも、まずは本人の話にじっくり耳を傾けること。私は“子どもの言葉”を大事にしています。笑顔が戻って「行ってきます!」と保健室を出ていく姿を見るのが、何よりもうれしいですね。
この南魚沼の小学校に赴任して1年。こころまで健やかに成長していけるように、児童の日々を支えていきたいです。かけがえのない友だちをつくり、この町の人々との絆を深めることも、生きていくためには大事なこと。人を思いやり、こころの痛みがわかる大人になってもらうための関わりが、養護教諭にはできると思います。やがて地元のために、新潟のために、行動できる子どもたちを育てるために。
社会福祉士
翔洋学園高等学校出身
福祉心理学科 ソーシャルワークコース 2011年度卒業
医療法人社団白美会 介護老人保健施設白根ヴィラガーデン 勤務
社会福祉協議会での実習では、ソーシャルワーカーの方に同行し、障がい者やひとり暮らしの高齢者を支援する部署などをまわりました。ご家庭を訪問してご本人やご家族との面接をする中で、起きている問題を主観的にしか見ていないことに気づきました。背景、事情、言葉の裏側にある想いなどを汲み取る“客観的な目”を身につける貴重な機会となりました。
勤務しているのは、通所リハビリテーションの相談窓口です。障がいがあるご本人やご家族、ケアマネージャーの要望を聞いて、どんなケアができるかスタッフと協議する“コーディネーター役”です。また、“施設の顔”とも言えます。心がけているのは、普段から利用者さんと関わりをもって現場を熟知すること。仕事がデスクワークに終わっては誰からも信頼してもらえません。沢山の方に関わることのできる仕事にやりがいを感じています。
相談員として大事にしていることは、“ご本人の意思”を尊重すること。新潟市南区にあるこの施設を利用される地元の方にも、他の地域からお越しの方にも、「自宅で家族と暮らしたい」という想いがあります。障がいを少しでも軽減できるように、質の高いケアサービスを提供していくことが私たちの使命だと感じますし、「この人に相談すれば大丈夫」と希望を託される自分になることが目標です。
介護福祉士
東京学館新潟高等学校出身
福祉心理学科 福祉ケアコース 2011年度卒業
社会福祉法人仁成福祉協会 特別養護老人ホームおもと園 勤務
どんな人に対しても寛容な自分になれた。それがいちばん成長した部分だと思います。“すくすく”というボランティアサークルで、障がいのある方々と交流したことが大きなきっかけに。健常者か障がい者か区別することに疑問を感じ、“その人らしさ”を見つめることの大切さに気づいたのです。心理学に興味をもち入学したのですが、介護福祉士になって人を支えたいという気持ちに変わりました。
認知症を患うなど介護度の高い利用者さんを援助していますが、卒業し現場に立ってみて感じるのは、日常生活を援助する私たちがコミュニケーションをあきらめなければ、必ず何かを返してくれるということです。たとえ言葉がうまく話せなくても、かすかな表情や仕草で「ありがとう」を伝えてくれる。もともと口下手な自分ですが、介護という究極のサービスに取り組む自分の原動力になっています。
勤務しているこのホームは、実家がある新潟市江南区にも近く、子どもの頃からよく知っている場所なので、地元でずっと暮らしてきた利用者さんとの話題にも困りません。新潟で生きていく人たちに広く貢献したいとは思いますが、実際に自分が支えになれるコミュニティーは限られています。だからこそ、このホームで触れ合う方々やそのご家族は確実に幸せにしたい。そう思っています。
保育士
新潟県立長岡向陵高等学校出身
福祉心理学科 心理カウンセリングコース 2011年度卒業
社会福祉法人新潟太陽福祉会 障害者支援施設太陽の村 勤務
地元の保育園で実習に参加したときのことです。受け持ったクラスの担任の先生は、褒めるべきときはたくさん褒め、叱るべきときはしっかりと叱る方でした。障がいのある園児に対しても特別扱いをしない。一人ひとりのこころと全力で向き合う姿に“温かさ”を感じました。「子どもの気持ちに共感できる保育士に私もなりたい」。めざしたい“理想像”を見つけたことが、大学で学んだいちばんの収穫でした。
0、1歳児の担任をしていますが、成長の早さに驚く毎日です。ほんの数ヶ月でハイハイができるようになったり、モジモジしていた子が自分から物を貸してと言えるようになったり。「センセイ、○○ちゃんも入れて…」「一緒に遊ぼうね!」 そんなやりとりのなかでも、“自分のことを先生が認めてくれた”とよろこんで自信が芽生えていきます。成長していく姿に、この仕事のやりがいを感じています。
新潟市西区にあるこの保育園では年に1度、地元のお年寄りを招いて世代間交流会を行っています。「来てくれてありがとう!」「また大きくなったねえ」 世代を超えた交流は、子どもたちはもちろんご年配の方々の刺激や活力にもなるので大切にしたい機会ですね。生きてきた環境や生活習慣が人としての礎になりますし、それを築いて次の世代を育てていけることが、保育士として励みになっています。
生活支援員
新潟県立長岡向陵高等学校出身
福祉心理学科 心理カウンセリングコース 2011年度卒業
社会福祉法人新潟太陽福祉会 障害者支援施設太陽の村 勤務
もともと人見知りで、口下手な自分。話すことに苦手意識をもっていましたが、障がい者施設での実習に参加して気にならなくなりました。話すことだけが支援ではないと知ったからです。話ができない利用者さんも多い中で、明るく楽しく接したり、打ち解け合える雰囲気を演出したり。コミュニケーションができるかどうかよりも、つくるための働きかけをすることが大事。そう気づきました。
この施設では、障がいのある幅広い年齢層の方々が暮らしています。一泊旅行に全員で出かけることもあるのですが、この仕事にやりがいを感じるのは、普段は見られない笑顔を目にしたときですね。ご家族が願っているのは、安全や安心はもちろん、“本人らしく”生きてもらうこと。週末は実家に帰省されるので、施設での暮らしぶりが目に浮かぶように些細なことでも連絡ノートを書いて渡すようにしています。
この新潟市北区に住む方々もたくさん訪れる夏祭りイベント“SunSunフェスティバル”は、太陽の村の一大行事。子どもたちが特設ステージで演奏会を開いたり、利用者さんがクッキーをつくって販売したり、地域と私たちがつながる機会になっています。障がい者に対する先入観や誤解を解いてもらう“接点”をつくることで、この街を誰もが暮らしやすいコミュニティーにしていきたいですね。
事務スタッフ
新潟県立加茂高等学校出身
福祉心理学科 ソーシャルワークコース 2011年度卒業
長岡赤十字病院 勤務
耳が聞こえなくても、音楽を楽しんでいる方がいる。授業を通じて障がいの捉え方が大きく変わりました。施設の中でも、楽しく過ごしている利用者さんがいる。実習に行って老人ホームの印象が変わりました。マイナスの面しか見ていなかったことにも、プラスの面がある。 “自分の視野”が広がったことは、医療機関同士の連携、地域と医療との橋渡しの役割をする今の私にとって欠かせない成長でした。
地域の医療機関と連携し、患者さんがスムーズに受診できるようにすること、同じ病院内の現場で働くスタッフの手助けをすることが私の主な仕事ですが、心がけているのは“自分本位で物事を考えない”こと。期待に応えるには、困っている人の、こころの中まで視野を広げることが大切だと考えています。仕事をやりきったときにいただく「ありがとう」には、いろんな人の願いが詰まっているだけに、よろこびも大きいですね。
生まれ育った三条、高校時代を過ごした加茂、大学がある新潟、そして、現在勤める病院がある長岡。どの地域にも強い愛着があります。今もそれぞれの地域にある医療機関と連携しているので、自分が橋渡し役となって情報を共有・発信することが、新潟全体を元気にしていくことだと思っています。“安心し信頼できる医療機関づくり”を目標に、これからも誠心誠意向き合っていきます。
社会福祉士
新潟県立新津高等学校出身
福祉心理学科 ソーシャルワークコース 2011年度卒業
阿賀野市役所 勤務
地域における高齢者の方々の交流に関心をもったのは、卒業研究がきっかけでした。世代間交流をテーマに“子どもとの触れ合い“についてインタビューをして実態を調査したのですが、それは“生きていく活力”になることがわかりました。しかし実際には、交流する機会がとても少ないわけです。問題意識をもったことで、地域の高齢者を支えたいという想いが芽生えましたし、行政に携わる仕事を選んだ理由でもあります。
勤務しているのは、阿賀野市の福祉課にある地域包括支援センターです。65歳以上の方々やご家族を対象にした介護に関する相談窓口で、助言を行ったり、虐待の問題にも対応しています。数ヵ月にわたって見守り、支援をつづけるケースもある中で、「自分の対応方法は間違っていないだろうか」と自問自答する毎日ですが、それだけに「ありがとう」と感謝されたときのよろこびは言葉になりません。
介護が必要にならないように予防していく。それも私たちの役割のひとつです。お茶を飲みながら気軽に話ができるサロンを設けたり、専門家の方をお招きして講演会を開いたり。啓発活動を行っていくことで、阿賀野市を元気な街にしていけたらと思います。大事なことは、押し付けではなく、ご本人に自ら行動してもらうこと。それは、大学時代にゼミで取り組んだ地域活性化プロジェクトで学んだことです。
保育士
新潟清心女子高等学校出身
福祉心理学科 子ども発達サポートコース 2011年度卒業
金鵄有明学園 あそびの森きんし保育園 勤務
地元の保育園で実習に参加したときのことです。受け持ったクラスの担任の先生は、褒めるべきときはたくさん褒め、叱るべきときはしっかりと叱る方でした。障がいのある園児に対しても特別扱いをしない。一人ひとりのこころと全力で向き合う姿に“温かさ”を感じました。「子どもの気持ちに共感できる保育士に私もなりたい」。めざしたい“理想像”を見つけたことが、大学で学んだいちばんの収穫でした。
0、1歳児の担任をしていますが、成長の早さに驚く毎日です。ほんの数ヶ月でハイハイができるようになったり、モジモジしていた子が自分から物を貸してと言えるようになったり。「センセイ、○○ちゃんも入れて…」「一緒に遊ぼうね!」 そんなやりとりのなかでも、“自分のことを先生が認めてくれた”とよろこんで自信が芽生えていきます。成長していく姿に、この仕事のやりがいを感じています。
新潟市西区にあるこの保育園では年に1度、地元のお年寄りを招いて世代間交流会を行っています。「来てくれてありがとう!」「また大きくなったねえ」 世代を超えた交流は、子どもたちはもちろんご年配の方々の刺激や活力にもなるので大切にしたい機会ですね。生きてきた環境や生活習慣が人としての礎になりますし、それを築いて次の世代を育てていけることが、保育士として励みになっています。
看護師
新潟県立糸魚川高等学校出身
看護学科 2009年度卒業
新潟市民病院 勤務
看護師をしている親戚がいて、母も看護師の資格を生かして市役所で働いています。大変な仕事だと子どもながらに感じていたので、医療の仕事に就きたいと思ったことはありませんでした。しかし、祖父が認知症になったとき気持ちが変わりました。どう言葉をかけていいのかさえわからず、身内のなかで何もできない無力な自分。人を支える力をつけたいと思ったことがきっかけで、看護師になろうと決めました。
1年目は覚えなければならないことが多く、落ち込むこともよくありました。闘病生活を送っていたある患者さんを担当したときのことです。喉に管を通していて声が出ないので、筆談でたくさん対話をするようにしました。自分にできることを最大限にやろうと思ったんです。するとある日、「いつもありがとう。がんばって」という一筆が。逆に励まされて、もっと人を支えられるようになろうと自分に誓いました。
現場で大切にしているのは、患者さんの目線や気持ち。こころの代弁者でありたいと思っています。そのためには、忙しいときでも忙しさを感じさせないこと。相談しやすくてこころを開いてもらいやすい雰囲気づくりを心掛けています。新潟市内にあるこの病院では先端医療が行われています。身につけた看護をいつか地元の糸魚川にもち帰れたら・・・。そんなことを考えながら今は経験を積んでいます。
入学したときは看護師をめざしていました。進路を変えるきっかけになったのは、学外での実習でした。新潟市の保健師さんに同行して家庭訪問に出かけたのです。「この部分が痛むのですが大丈夫でしょうか?」「子どもの発育が遅い気がします。相談にのってくれますか?」誰もが気軽に話かける光景を見て、保健師をめざすことにしました。地域で頼れられる人間になりたいと思ったからです。
今担当している仕事のひとつに、未熟児訪問があります。体重の変化や発達の状況などを確認して助言を行うのですが、ご家族は順調に育っているのかとても気にされていますので、現状をきちんと説明できることが何よりも大切です。ほかにも、結核やエイズなどの感染症の相談を受けることもあります。直接悩みを聞ける。聞くことで問題解決の糸口が見えてくる。そこにこの仕事のやりがいを感じています。
保健師は地域のかたにとっていちばん近い存在であり、悩みや不安をわかっていないと務まりません。悩みを解決するためにも、魚沼周辺の関係機関のかたとの連携が大切です。たとえ自分が問題を解決できなくても、解決できる人とのつなぎ役になることが大事。そう思っています。「何かあったら深田さんに相談するといいよ」と言っていただける保健師に、1日も早くなることが今の目標です。
助産師をめざそうと決めたのは大学3年。病院で母性看護学実習を行ったときです。分娩室で出産に立ち会ったのですが、そこには陣痛で苦しむ女性の手を握り、腰をさすり、声を掛けつづける姿がありました。生命が誕生する瞬間にも感動しましたが、助産師さんの冷静で的確な対応に目を奪われました。そして、お母さんを支え、安心感を与えられるような助産師になりたいと思いました。
今の職場はNICU(新生児集中治療室)です。未熟児で生まれるなど重症の状態の赤ちゃんを24時間体制で看護しています。お母さんがたのなかには、生まれた瞬間から離れ離れで、我が子を一度も抱いたことのないかたもいます。700gだった体重が2500gを超えるまでに成長して、「ここまで大きく育ててくれて本当にありがとうございます」と涙を流してよろこんでもらえたときは、うれしくて言葉になりません。
お母さんがたには直接授乳や沐浴の指導も行うので、新生児の看護では助産師の視点が役にたちます。逆に、看護の現場で今行っていることは、助産師として母子を支えていく上でかけがえのない経験に。一生つづけていきたいと思える仕事です。私は新潟市で生まれ育ちました。ですから、地元の病院を訪れる人は誰もが身内という感じがします。子どもを産む女性がいつでも頼れる存在になりたいです。
大学に入学した頃は、看護を学びながらも、どの職を目指すべきか決めかねていました。転機になったのは、学習支援ボランティアです。小学校の保健室で先生のお手伝いをしました。体や心を痛めて保健室に来た子どもたちが、笑顔になって教室に戻っていく。その光景を見て心を動かされました。養護教諭になろうと決めたのは、自分も子どもの心の成長を支えたいと思ったからです。
周囲を気にせずに勉強したい。そんな"保健室登校"の子どももいます。初めは言葉を投げかけても、イエスかノーの返事しか返ってこないこともあります。でも、支え続ければ子どもは必ず応えてくれるものです。「心が苦しくなったとき、先生はどうしていますか?人には個性があって、嫌なことも人それぞれあることに気付きました」。成長の瞬間を見たとき、この上ない喜びを感じます。
新潟市では地域が一丸となって教育に取り組んでいます。今、この小学校が力を入れている食育の推進活動の一部を担当しているのですが、子どもたちに朝食の大切さや正しい食べ方などを伝えるための方法を、保護者の方とともに考える機会を設けています。子どもを変えるためには、まず大人が変わらないといけないと思うからです。体力や気力のある子どもたちを育てることで、新潟のこれからを支えていきたいと思っています。
お金がない。家族がいない。寝たきりで動けない。そんなお年寄りがたくさんいるという現実を、新潟市の生活保護の担当のかたに同行する実習で知りました。生活すること自体に悩みを抱える人を支えたい。その気持ちがさらに強くなったのは、病院で社会福祉士が患者さんやご家族の相談にのる現場を見学したときです。入院や退院にあたっての問題解決に自分も取り組みたいと思いました 。
お母様の退院後のケアをどうするか。自分が介護をすると譲らない息子さんと、施設での介護サービスを勧めるケアマネジャーの間で、なかなか結論が出ないことがありました。このようなケースでも解決策を提示するのですが、優先するべきことは患者さんやご家族の気持ちです。実現するためにできることは何か。支援制度の手続き以外にも、私たちが力になれることはたくさんあるのです。
入院しても治療費を払えないかたもいれば、退院しても介護できる家族がいないかたもいます。生活課題は、社会福祉士だけで解決できるものではありません。医療、介護、地域の関係者と連携することが大切で、自分の役割は潤滑油になることだと気づきました。みんなで力を合わせながら、援助を必要としている人たちのためにも闘える自分になりたいと思っています。
福祉に興味をもったのは小学生のとき。高齢者施設で介護を体験する課外授業がきっかけでした。そして中学時代、高校時代を過ごしていくうちに、相手の気持ちや心理にも興味をもちました。新潟青陵への進学を決めたのは、まずは福祉にちなんだ心理を学んでみようと思ったからです。興味はあっても、将来やりたいことまで決められませんでした。4年間で答えを見つけていこうと思いました。
80代後半のご夫婦の介護サービスを担当したことがありました。ご主人様が他界されて、奥様だけが遺される形に。ご家族やケアマネジャー、他事業所のスタッフのかたと集まって、その後のサポートについて話し合いをしていたときです。奥様が「あんたの顔を見ると泣けてくるよ」と涙を流されて。自分が役に立っていたこと、いちばん近い存在になれた気がして本当にうれしかったです。
利用者の方々はさまざまな問題を抱えています。話をするだけでも、すっきりしたり、ほっとしたりするものです。こころを開いてもらえる人間関係づくりをいつも心掛けています。最初の勤務地だった新津から長岡に戻ってきて1年。生まれ育った地元に自分を待ってくれている人がいることは、とてもしあわせなことです。「この人たちとかかわれて良かった」。そう言ってもらえるようにがんばります。
できたばかりの乳児クラスで、援助する環境を整えようと必死にがんばっていた。私が保育園に通っていた当時の先生がたの奮闘ぶりを親から聞いて感動し、ずっとこころに残っていました。そして大学時代、高齢者施設などでの実習で利用者のために努力する職員の姿を見て、自分も"誰かのために働きたい"という気持ちを強くもったのです。その"誰か"とは"子ども"であり、保育士という仕事でした。
1歳児のクラスを担当しています。子どもたちにとってはすべてが初体験。みんなでご飯を食べる。友だちができる。先生に名前を呼ばれる。その楽しさやよろこびを感じられるようなふれ合いを大切にしています。朝会ったとき自分の顔を見てよろこんでくれたり、帰るときその日に体験したことを保護者のかたにうれしそうに話してくれたり。この仕事を選んで良かったと思う瞬間です。
保育園は集団生活のスタート。最初からつまづくことなく、楽しい毎日を過ごせることが大切なことだと思っています。私はまず子どもたちに"自分は大切な人間"という自己肯定感をしっかりもたせたいと考えています。それは"自分への自信"を生み、まわりの人間も大切と感じられるようになって、ひいては"思いやるこころ"が育まれると思うからです。新潟を強い絆でつないでいくためにもがんばります。
小学生の頃、近所にあった施設にいた視聴覚に障がいのある友だちと遊びながら、いつも疑問を感じていました。「どうして同じ教室でいっしょに過ごせないんだろう」。詳しく勉強したいと思うようになり、福祉や介護、人のこころの状態も理論に基づいて学びたいと思って新潟青陵に入学しました。精神障がい者の生活、知的障がい者の心理・・・。4年間で興味はどんどん膨らんでいきました。
この施設は、目が見えないかたや自閉症のかたなどいろいろなかたが利用されています。食事介助やリハビリなど、行う支援もさまざまです。できないことをできるように支えることはもちろん、その人がその人らしく生活を楽しめる支援が大事だと日々感じています。「みんなでダンスをして少し疲れたけど、楽しかった」。それが表情や身ぶり手ぶりで伝わってきたとき、大きなよろこびとやりがいを感じます。
法人で開催されている"ふれあいカーニバル"という地域イベントにも力を入れています。食べ物の出店や栞やビーズのコースターといった利用者さんがつくった作品を販売するお店も敷地内に用意しています。交流の機会があるほど、障がいを正しく理解してもらえると思うんです。誰もが楽しくて過ごしやすい地域にしていくためにも、このイベントを盛り上げていきたいですね。
入学した頃は、生活相談員になろうと考えていました。しかし、実習先のデイサービスで利用者のかたにつくった、ひと工夫を加えた"浴室で使用するタオル"が大変よろこばれたことがきっかけで、介護のように"目には見えないサービス"だけでなく、"商品としてお客様に提供できる家電"も生活に豊かさをもたらしているのではないかと考えるように。自分のやりたいことが大きく変わった体験でした。
燕市に本社のある家電メーカーで、品質保証部のスタッフを務めています。仕事のひとつに、お客様が安全かつ快適に使えることを確認する製品の実使用試験があり、私は使いやすさを見るモノサシとして"高齢者にもやさしいかどうか"を検討します。高齢者にやさしい。それは、どのユーザーにもやさしいことを意味するからです。試験の内容を記録表というカタチで残せたとき、いつもやりがいを感じます。
普段から心掛けているのは、気配りや思いやりをもって人と接することです。『お客様の健康と笑顔を創造するために、お客様の声に耳を傾け、お客様の「あったら良いなあ」という思いを形にしながら、社員にとって働くことが楽しい、誇りのもてる会社をめざす』。これは当社の経営ビジョンですが、気配りや思いやりを忘れずに、新潟から健康と笑顔を発信していきたいと思っています。
一般企業で働きたいと思うようになったのは、就職活動のときでした。心理学を学びたくて新潟青陵に入学し、在学中に精神保健福祉士の受験資格も取得しました。ただ、いつか福祉の現場で働くにしても、いろんな社会を見て経験を積むことがプラスになると思ったんです。自分の力を試してみたいという気持ちもありました。
いろんな人に出会える。人生を支えられる。それが保険営業を選んだ理由です。希望を与える商品なので、明るくて前向きな対応を心掛けています。年齢、職業、家族構成、将来設計・・・。ひとりとして同じお客様はいらっしゃいません。人生を相談できる人間になりたいですし、人の痛みがわかる人間になりたいと思っています。
保険は、若いかたほど未加入のかたが多い商品です。ただ、がんになるケースで言えば、20代から30代のかたの入院理由の第2位。必要性を理解してもらうためにもがんばりたいと思います。そして、たとえ病気になったとしても、たくましく生きていこうとがんばれる人を、地元新潟に増やしていきたいですね。
はじめは何となく医療関係の仕事がしたいなと思っていました。でも高校3年のとき、新潟中越地震を体験して気持ちに変化が起きたんです。地震の被害で自分のことだけでも大変なのに、近所の人が自宅で療養中だった私の祖父のことまで気にかけてくれたり、温かい言葉をかけてくれたり。人の優しさを感じたのと同時に、「自分はなんて無力なんだろう」という想いがわいて。誰かの力になりたいと、看護師を志望しました。
糖尿病など生涯付き合っていく病気を抱えた患者さんは、ずっと自分の病気と向き合って生きています。ですから、みなさんすごく病気のことに詳しいんです。ある患者さんは、はじめ私が新人ということもあって目も合わせてくれませんでした。でも、わからないことはきちんと勉強して、いつも笑顔で接していたら、2ヵ月後には冗談を交わすほどに。看護師という仕事は、信頼関係が大切ですね。
祖父が小千谷の人に大切にしてもらったように、私も身近な大切な人たちの力になりたい。それが新潟で育って、新潟で学ばせてもらった私の恩返しだと思っています。だからこの場所でずっと看護師をつづけたい。まだ1年目。まずは経験を積んで自信をつけていくことが今の目標です。自信のない看護師は怖くて信頼できませんからね。私と出会った人を少しでも元気にできる存在になれればと思っています。
保健師として働きたいと思ったのは地域看護学実習へ行ったときです。住民の方々が保健師に気軽に声をかけている光景を目の当たりにしました。歩いていると「保健師さ~ん」と声がかかる。そのこころの距離の近さは、実習をするまで思い描いていた保健師像とはまったく異なりました。実際には暮らしにとても近い看護職だと知り、住民の方々の健康を守るこの仕事に興味がわきました。
働いて1年目。まだまだ聖籠町の方に知られていないので、「何かあったら山岸さんがいる」と思い出してもらうためにも、家庭訪問は大切にしています。町を歩いていても、道端で健康相談がはじまったりと、住民の方との距離はとても近いと思います。時間があれば地区へ出て、多くの人と出会えることが楽しみです。最近では私宛に指名で相談の電話をいただくことが増えて、とてもうれしいです。
全地区合計で約2,800人を担当しており、やっと地区ごとの特色が見えてきました。今は一人ひとりと向き合い、支援の方法を考えながらかかわることが中心となっています。今後は、個から地区、地区から町全体へと目を向けられるようになりたいです。今、住民のかたに育てていただいている分、将来は、頼りにしてもらえるような保健師をめざします。
小さい頃から看護師をめざしていて、それは入学してからもしばらく変わりませんでした。ところが2年の冬。私が看護を勉強しているということで、姉が自分の出産に立ち合わせてくれたんです。分娩室に赤ちゃんの産声が響き渡ったとき、今までの人生で味わったことがないほど感動しました。涙がどんどんあふれて止まらなくて。「助産師になる」、そう決めた瞬間でした。
初産でもすぐに産まれることはあるし、初産ではないのにすごく時間がかかることもある。出産は本当に一人ひとりまったく違うものなんです。だからこそ不安になっているお母さんを勇気づけることも助産師の大切な仕事です。出産を終えたお母さんから「陣痛から分娩まで、保坂さんがずっといっしょだったから心強かったです」とお言葉をいただいたりすると、胸がいっぱいになりますね。
夜通しご主人がとなりに付き添ったり、家族や友だちが何度も励ましにいらしたり。長岡の人の優しさや絆の強さは陣痛室にいても強く感じます。そんな大切な人たちのためにも、出産後はお母さんたちには自信をもってもらい、さらにいきいきと人生を歩んでほしい。産婦人科病棟の助産師として、生涯にわたってこの町の女性をさまざまな場面で支えられる存在になりたいです。
小学生の頃の保健室が私の原点です。体調が悪い友だちやケガをした友だちをよく連れて行ったのですが、先生に会うと泣いていた友だちが笑顔になる。みんなが元気になる。私もそんなふうに人を元気にできるようになりたいと思い、養護教諭をめざすようになりました。自分なりの強みをもつために、看護が学べる看護学科へ。保健室の先生はやっぱり医療に詳しい方が安心だと思ったからです。
骨折の疑い、熱中症の疑い、インフルエンザの疑いなど。保健室にはさまざまな子どもがやってきます。素早い対処ができ大事に至らなかったときなどは、保護者から感謝の手紙をいただくこともあるんです。うれしいですね。でも何よりやりがいを感じるのは「先生ありがと、がんばってくるね」と、さっきまで元気がなかった子どもが保健室を出ていくとき。私まで笑顔になります。
小学校4年生の保健学習で、「育ちゆく体とわたし」という授業を担当しました。「命が受け継がれて、すごく大切な存在として今あなたはここにいるんだ」ということを伝えました。子どもたちには、自分も人も大切にできる大人になってほしい。私が育ってきた頃と同じように、これからも新潟が温かい町でありつづけるために。体とともにこころの成長も小学校の保健室から全力でサポートしていくつもりです。
昔からボランティア活動でお年寄りと接する機会も多く、いっしょに時を過ごしながら人の役に立てる仕事に就きたくて福祉を考えるようになりました。オープンキャンパスで社会福祉士という仕事の存在を知り興味を持ちました。ちょうど祖父が体調をこわした時期でもあり、病気だけでなく患者さんの心の不安や辛さと向き合い、ともに乗り越える力になりたいと思ったのがきっかけです。
私が働く精神科のデイケアには、精神障害を患い通院されている方がリハビリのために訪れます。最初は人と交流できず無表情で、コミュニケーションをまったく取れなかった方が、少しずつですが変わっていく姿を見るのは本当にうれしいものです。プログラムを重ねるうちに、昨日の晩御飯の話をしてくれたり、5分間のフリートークができるほどに回復したり。一歩一歩がんばっていく姿に胸を打たれます。
利用者の方々は、私たちの心情にすごく敏感です。自信がないことを口にするとすぐに見抜かれます。自信をつけるには、失敗から逃げずに必ず原因を考えること。日々、勉強です。今は新潟から離れていますが、将来は長岡で自分の経験を生かせたらと思います。利用者にとって安心できるデイケアをめざし、ひとりでも多くの人が安心して暮らせる街づくりに貢献していきたいと考えています。
祖母が近所の老人ホームにいたので、よく遊びにいっていました。そのとき、祖母にやさしくしてくれる介護福祉士さんに興味をもったのがきっかけです。大学で介護を本格的に学びましたが、覚えるだけの勉強では全然ダメだということも痛感。大切なのはマニュアルではない。マニュアルを目の前にいる一人ひとりの相手の立場に置き換えて実践することです。誰ひとり同じ人間はいませんからね。
介護の仕事に、「してあげる」という気持ちは禁物です。その考え方では、相手のためではなく自分に都合のいいように考えてしまうからです。大切なのは、人生の先輩として尊敬しながら同じ目線で考えること。とても難しいことですが、その積み重ねが信頼関係を生んでいきます。「福嶋君、きのう休みだったでしょ? せっかく来たのに」と利用者の方から名前で呼ばれると、信頼していただいているなと実感できます。
いずれは地元の佐渡に帰りたいという想いもあり、役に立てる実力をつけるべく一つひとつ挑戦していくつもりです。ひとりでできることではありませんが、夢は、「年をとってもひとりじゃない」と心から思えるお年寄りを増やすこと。行政も巻き込みながら、みんなが安心して暮らせる社会をつくる一役を担えればと思っています。まずは、ケアマネージャーの資格取得を目標に勉強と経験を積んでいます。
「子どもが好き」という思いから、高校生の頃には「将来子どもにかかわる仕事がしたい」と考えていました。そして、人が生きていく上で特に重要な時期にある子どもたちの育ちに、私もかかわりたいと思い、保育士を志しました。新潟青陵大学で保育に加えて福祉や心理を幅広く学んだことは私の強みです。だからこそ、これからも幅広い視野で子どもの育ちと子育て家庭を支えていくことに努めていきたいと思っています。
2歳児の担任をするなかで大切にしていることは、子どもの話を最後まで聞き、気持ちを受け止めること。思うように気持ちを表現できないときには、「こう言いたかったの?」と代弁し、必要な場面では友だちとのかかわりの仲立ちになります。そんなやりとりのなかで、子どもたちの表現が豊かになり、こころとからだがどんどん成長していく場にいられることがとてもうれしいですね。
新潟は、海、山など自然が豊かで地域ごとに個性があります。だからこそ、地元の魅力を保育士として子どもたちにしっかり伝えていきたいです。遊んだり、食べたり、いろいろな経験を保育園の内外ですることで、まわりの人を大切にしたり、思いやる心を子どもたちにもってほしいと思います。そのためにも、私自身が大好きな新潟で子どもたちとの毎日の生活を思いきり楽しみ、いっしょに成長していけたらと思っています。
心理学を4年間じっくり学びたいと思い新潟青陵大学へ。就職活動では一般企業の事務職を受けていましたが、あるとき特別養護老人ホームにも事務職の仕事があることを知ったんです。見学に行ったところ、そこでは働く方々がすごくいきいきして。自分に合うと直感で思いましたね。福祉も学んでいたのでお年寄りと過ごす楽しさや魅力も知っていましたし、これなら役に立てると今の職場に決めました。
経理、文書管理、来客対応が毎日の仕事。でもクリスマス会やぶどう狩りなど月一回ある行事では、事務職員もお年寄りとふれ合う機会があります。私は介護職ではないので本格的な介助はできませんが、大学時代に福祉施設の実習にも行ったので簡単な手伝いならできる。「ありがとう」と言っていただけると、「この人たちのためにがんばろう」って普段の仕事にも気合が入ります。
就職して1年。目の前の仕事を一生懸命覚えている真っ最中なので大きな話はできませんが、私の使命は利用者のお年寄りが生活しやすく、ここで働く職員も働きやすい環境を裏方になってどれだけつくっていけるかだと思っています。古くからこの巻地区に根付いている白寿荘東を、今まで以上にもっともっとここに住む方々から愛される場所にしていきたい。支える力になりたいと思っています。
保育士をめざして入学しましたが、就職活動をしていくなかで自分の可能性を試してみようと一般企業も視野に入れたのが今の仕事を選んだきっかけです。銀行に入って気づいたのは、経済や経営の知識と同じくらいコミュニケーション力が重要だということです。お客様は経営者から主婦までさまざま。実習で子どもやお年寄りなどいろんな立場の人と接してきたのでその経験が生かせると思いました。
支店のある長岡で、1日に訪問するお客様は20軒ほど。1軒にあまり時間がかけられないのも事実です。だからこそ、一度の機会を濃密にしたい。提案よりもまずはじっくりと話を聞くようにしているのはそのためです。他愛もない話を通じて相手を知り、自分を知ってもらうことで、本音で語ってもらえたり商談につながることもしばしば。心を開いてもらえたときは、絶対この人のためになる提案をしようと思う瞬間でもあります。
人とかかわるのは得意な方ですが、経済や経営などの知識はまだまだ未熟ですので、資格を取得するなど勉強を進めています。知識とこころ。この両輪で新潟の企業をもっともっと元気にしていくことが私の夢です。会社が元気になれば、働く人も元気になる。経営者のかたからも、個人のお客様からも「元気をもらえる銀行マン」と言われるように、これからも成長していきたいですね。
介護実習で知らない世界をのぞいたり、友人たちとダンス部を創設したり。大学時代はとにかく積極的に動いて、ここでしかできない経験と人とのつながりをつくりましたね。心理学を学ぶために進学したとはいえ、何でもチャレンジしました。現在は教育旅行の営業を担当。主に小中高生の学校行事の旅行を企画提案しています。
特別支援学級と通常学級の子どもたちがいっしょに行く修学旅行を担当したときのこと。バリアフリーの施設かどうか、食事の場所は全員が食べやすいかどうかなどは、福祉を勉強していたからこそ気づけたポイントでした。事前チェックの甲斐もあって、みなさんに満足していただける旅行になりました。
ずっと新潟で暮らしてきただけに、私には人との太いつながりが地元にあります。その絆と今までの経験を生かして将来は、観光、福祉、教育などを絡めた町づくりにかかわる事業を起こしたい。具体的にはこれからですが、私がパイプ役になって、まだつながっていない人と人、人と物をつなげていければと思っています。
お年寄りは、ためになることをたくさん教えてくれる。だからいっしょに過ごすのが子どもの頃から好きでした。この仕事をめざそうと思ったきっかけは、認知症患者と看護師のふれ合いを綴ったマンガとの出会い。読んでいくうちに、どうすれば記憶を失っていく人の世界に自分が入っていけるのか、考えるのが好きになって。専門書を買って認知症のことを調べるようになっていました。
今の職場では、糖尿病の患者さんを主に担当しています。自分で血糖値を測り、インスリンを注射して、体調や食事を管理していく生活を余儀なくされるので、その指導にあたるのも私の役割です。役立つ知識を少しでも提供できるように、糖尿病治療のエキスパートをめざす研修プログラムに参加したり。良くならなかった症状が良くなってよろこんでもらえたときが、何よりうれしいですね。
看護師になって3年目。でも、まだ目の前にある仕事をこなすことで精いっぱい。患者さんへの気配りが足りなかったり、ゆっくり話をする時間がとれなかったり。早く一人前になれるようにがんばらないと。病気を抱えながらの暮らしでも、より長く、より納得できる人生が送れる環境をつくりたい。新潟で生きていくお年寄りの笑顔を増やせる自分になりたいと思っています。
中学のとき通院したことがきっかけで看護の世界に進もうと決めていました。保健師になろうと気持ちが変わったのは大学3年。精神病院でアルバイトをしたときです。社会復帰できる状態でありながら生活に馴染めない、支えるご家族がいないといったことから、何十年も入院生活を送る人たちがいることを知りました。受け入れ体制を社会や地域につくる仕事がしたいと思ったのが保健師を選んだ理由です。
保健師になって1年。未熟児のいるご家庭の訪問指導や、エイズなどの感染症の担当をしていますが、なかでも若者たちの性感染症を予防する活動には力が入りました。小中学校や高等学校から性教育の講師を依頼されて全校生徒の前で授業をしたり。「HIV(エイズウィルス)に感染する人は1日に何人いるでしょう?」「性感染症にかかる確率、知っていますか?」用意した質問に対する子どもたちの真剣なまなざしが、私にやる気を与えてくれます。
知りたいけど情報が近くにない。誰かに聞きたいけど聞けない。それが性感染症です。窓口に来る高校生の相談にも乗っているのですが、やってはいけないことを教えるだけでは知識の押し売りになってしまう。身体や命の大切さを伝えることが大事だとつくづく感じます。ただ、地元といっても直接かかわれる人の数は限られています。だからこそ、社会や地域に影響を与えることがしたいと思うんです。
人の役に立ちたいという気持ちがずっとどこかにあって、小さな頃から看護師という職業に憧れていました。保健師や養護教諭をめざす選択肢もあるということで大学に入ったのですが、3年のとき病院実習で実際のお産に立ち会って、自分のめざす道がはっきりしました。お母さんが自分の力で産もうとしている。その力を引き出すお手伝いをするのが助産師なんだ、と感動してこの仕事を選んだんです。
助産師は、お母さんだけではなく赤ちゃんの命も預かっています。現場に出て責任の重さを痛感していますが、無事赤ちゃんが元気に産まれ退院したときや、「三冨さんがいてくれて心強かったです!」と名前を覚えてもらえたときは本当にうれしいですね。いつも心掛けているのは、表情や姿から気持ちをくみとり、読みとること。相手を理解していないと、自分も理解してもらえません。
お産は痛くて辛いものと、経験するまでは誰もが思うはずです。でも、赤ちゃんと出会えば、痛さや辛さは忘れてもっと産みたいと気持ちは大きく変わるもの。まだ2年目なので助産師としての知識や技術をもっと身につけていきたいと思いますが、お産は楽しいと思える感動も伝えていける助産師になっていきたいですね。この新潟で子どもを産んで育てたい、と思える人を増やしていくためにも。
中学にも高校にも、保健室にはいつも大好きな先生がいました。体調を崩したときはもちろんですが、進路の相談にも乗ってもらったり。看護師や保健師も考えてはいたのですが、子どもとふれ合える養護教諭にも憧れるようになりました。高校3年のとき、先生から「あなたなら素敵な先生になれるわよ」という言葉をもらって決めました。"からだの専門家"として信頼される先生になろう、と。
ケガや病気の対処をしたとき、よく手紙をもらいます。児童からは「ありがとう」、親御さんからは「お世話になりました」と書かれてあると、この仕事を選んでよかったと思いますね。ただ、ケンカのときの対応の仕方や、悩みを打ち明けられない児童への声の掛け方など、考えさせられることも多い毎日。担任の先生と連携しながら自分をレベルアップさせていきたいと思っています。
インフルエンザが蔓延したときは地域の医師を招いて保護者向けの勉強会を開いたり、1年から6年まで学年ごとに児童の発育に合わせた健康づくりを考える"からだプロジェクト"を運営するといった活動も。学生時代、看護の知識や技術を学んだことが生きています。新潟で成長していく子どもたちから、ひとつでも多くの元気を引き出すことができる存在になれるようにがんばります。
祖母が介護を受け、叔母がケアマネージャーだったこともあって、福祉職にはもともと興味がありました。私自身も高校時代、スイミングスクールでコーチのアルバイトをしていたとき、知的障がいがあるお子さんの担当に。実際にふれ合ってみると、自分で生活もできるのに偏見をもたれるのはどうなんだろうと疑問を感じて。福祉を詳しく学んでみたくなって入学しました。
病院内にある医療福祉相談室で、精神障がいがある患者さんの社会復帰をお手伝いしています。心掛けているのは、この人には何でも話せるという雰囲気づくりですね。情報提供だけで終わりにしたくないんです。愚痴を言ってもらえるだけでも価値があります。雑談のなかに本人を知る大事なことが隠されていたりするので。「相談してくれてありがとう」って必ずお礼を言うようにしています。
そもそも精神保健福祉士をめざそうと決めたのは、在学中に現場実習で障がいがある人を支えてみて、施設や病院ではなくて、生まれた家や育った地元で生活してもらいたいと思ったから。調子が悪いときは疲れやすいとか熱が出たりするだけで、日常生活でも支障のない人が本当に多いんですよ。こころに傷をもつ人たちと、いっしょに悩んで、いっしょに次の一歩を考える。そんな自分でありたいですね。
家に帰るといつもおじいちゃんやおばあちゃんと遊んでいるような子どもでした。高校生になって進路を考えはじめる頃には、なんとなく介護職に就こうと決めていましたが、大学に入学したときは福祉の教員になる道もまだ頭のなかにありました。ただ、1年目に介護実習で施設に行ったとき、すごく楽しかったんですね。高齢者を相手にする仕事が自分には合っているとはっきりしました。
僕が担当する利用者さんは、多いときで30人。それぞれに生きてきた人生がありますし、習慣も違えば価値観も違います。一人ひとりに合った介護サービスを行うためには、まずこころを開いてもらうこと。挨拶の仕方やちょっとした気配りがとても大事なんです。またここに来たいと言ってもらえたり、僕の名前を覚えようと名札を探す様子を見たりすると、やっぱりうれしくなりますね。
夏には盆踊りを企画したり、スタッフが講師となって介護の講習会を実施したりと地域との密着を心掛けています。僕はこの新潟が好きですし、この仕事をつづけることで地元の方々といっしょに介護について考えたり、盛り上げていくことができればと。それまで手を貸してこなかったとしても、自分に介護が必要になったときのために詳しくなっておいてもらいたいですから。
保育園の頃から、ずっと親しくさせてもらっている保育士のかたがいます。やさしくて、明るくて、手遊びもたくさん知っているかたで、保護者からも慕われていました。小学校の卒業文集には"保育園の先生になりたい"とすでに書いていましたね。現場に出て1年。大人の目線にならないように、いつも子どもの目線を意識すること。大学での保育実習が役に立っています。
2歳児を担当してみて感じるのは、1週間でも大きく成長していくということ。その姿を目の当たりにできるのがやりがいです。まだまだできないことも多いので守ってあげることも大事ですが、自分でできたよろこびを感じてもらう援助が大事。「遊びましょう!」「静かにしなさい!」といった指示ではなく、子どもごころを引きつける声かけのレパートリーを増やすことが、今の私の課題です。
海、山、そして雪。新潟は自然も豊かで、新潟でしかできない遊びもたくさんあるはず。その魅力を当たり前だと思わずに、保育士としてしっかり伝えていきたいです。子どもたちに地元を愛する気持ちをもってもらいたいですから。ずっと付き合っていく友だちや、いつも支えてくれる家族を大切にするという、いちばん基本的なことにも気づいていってほしいと思います。
「人の悲しい気持ちをケアしたい」。はじめは心理学やカウンセリングの方法を学びたくて入学しました。ただ、医療や福祉に関する授業を受けていくうちに、こころだけではなく人の生活そのものを援助したいと思うようになったんです。3年のときの実習で、病院の医療相談室に通って患者さんの悩みを聞いたことが決め手になって、今の仕事に就こうと思い社会福祉士の資格を取りました。
入院しても治療費を払うお金がない。退院しても介護できる家族がいない。そんな患者さんやご家族の生活課題を解決していく仕事ですが、「お世話になりました。ありがとう」と言われても、あまり素直によろこべません。もっとやれることはないのか、と思ってしまいますし、終わりがないんです。自分の行動しだいなので。責任の重さを感じますが、それがやりがいなのかもしれません。
退院後もずっとサポートしていくことはできません。だからこそ、悩みや困難を本人の力で乗り越えていけるように支えることが大事だと思うんです。「つらいですよね」と相手に共感できる気持ちは大切ですが、そのとき私は何をするべきか、自問自答するようにしています。私との出会いがきっかけでその人らしい生活が送れるようになる人を、この街に一人でも増やしていければうれしいですね。
祖父が介護を受けていたことが、この世界に進んでいくきっかけでした。困っている人の役に立てる仕事に就きたいと思ってはいたのですが、迷いもあって高校3年のとき進路指導の先生に相談したんです。そのとき、「福祉の道に進むのが和田には合っているんじゃないか」と言われて。いつか地元である佐渡に戻って幅広く活躍したかったので、ソーシャルワークコースに入学しました。
はじめは社会福祉士をめざしていましたが、世の中を学んでいくうちに、企業でも福祉の知識やマインドが求められていることを知りました。そこで社会に安心や安全を提供していくこの会社を選んだのです。1年目は、現場を学び経験を重ねていく期間。総合職として個人宅や企業からの通報などに対応しながら、設置するセキュリティーのプランを提案したり。やりがいを感じています。
この業界は、新人もベテランも、お客様から見れば関係ありません。人々を危険から守るプロフェッショナルとして、まずは自分が信用される人間にならないと。挨拶や受け答えにも毅然とした態度でのぞむように心掛けています。ずっと地元で暮らしたいと思ってもらうためには、どんな環境が必要なのか。安心して住める町づくりに少しでも貢献していきたいと思っています。
もともとは保育士になりたくて進学しました。一般企業への就職を考えるようになったのは、実習で足を運んだ保育園やボランティアで通っていた子育て支援センターで、悩みを先生に相談するお母さんたちの多さを目のあたりにしたからです。支えたい相手が、子どもから大人へと変わっていきました。いろんな人の望みや考え方にふれながら、自分も成長していける仕事に就きたいと思ったんです。
福祉で大切なのは、人とのかかわり。それは銀行でも同じです。家計をやりくりする主婦、会社を経営する人、年金生活のお年寄り・・・いろんなお客様が訪れます。仕事のこと、ご家族のこと、昔話をされるかたもいらっしゃいます。話を聞いてもらいたい人に気持ちよく帰っていただくことも、やりがいのひとつ。頼られたり、自分の名前を覚えてもらえたりすると、やっぱりうれしいですね。
人の話を聞くのが好きですし、おしゃべりも好きです。2年目を迎えた今、お金のことでもこころの面でもお客様にもっと満足していただきたいので、かかわりをさらに深めていきたいと思っています。いろんな人が、いろんな相談で訪れるこの窓口で働けるということは、ここから新潟を元気にしていけるということ。地元で暮らしていくことが楽しいと思ってもらえるようにがんばります。
地元の銀行に就職したいという希望がかない、働きはじめて1年。現在は預金業務を担当しています。事務処理が仕事の中心ですが、接客をする機会も少なくありません。ATMコーナーの操作に困っているお客様をご案内するのは私の役目。そのまま世間話に花が咲くことも。地元のみなさんと“つながる”ときが、いちばんやりがいを感じるときです。今の目標は、窓口業務を任せてもらえるようになること。「中山さんがいるからこの銀行に預けます。」と言われる自分に早くなりたいですね。
今でこそ人と話をすることが大好きな私ですが、青陵短大に入学した頃は人見知りするタイプでした。転機になったのは、古町の商店街に人を呼ぶための『新潟青空市場』というイベントです。ボランティアで特産品の売り子を務めたのですが、通行人に威勢良く声を掛けたり、試食を勧めたり。はじめての体験でしたが、勇気を出してやってみると、どんどん楽しくなって・・・。人とつながるよろこびや、コミュニケーションをとる大切さを学ぶことができたのは、私にとって大きな財産です。
どんな職業に向いているのか。いちばん興味があるものは何なのか。よくわからないまま入学した自分。ただ、人間総合学科ではいろんな分野の科目や資格を勉強できたので、将来の目標がはっきりしていきました。人前で話すことは大の苦手でしたが、発表する機会がたくさんあったファッションを研究するゼミのおかげで克服。いろんな人の考えや視点を吸収していくよろこびを知り、接客の仕事に就きたいと思うほどに。自分と本気で向き合う2年間になったことが、いちばんの収穫です。
卒業と同時にアパレル企業に就職し、ファッションスタイリストになりました。お薦めした服を買っていただいたお客様が、再び来店されたときはうれしいですね。「あれ、使いやすいわよ。選んでくれてありがとう。」と感謝されたり、「どんな服が私に似合うと思いますか?」と質問されたり。この仕事を選んで良かったです。目標は、「近くまで来たから寄ってみたの。」と顔を見に来てもらえるほど信頼されるファッションスタイリスト。新潟のお客様にも東京に負けないくらいお洒落をして、自分の好きな服を着てほしいと思っています。
自動車ディーラーで受付を担当しています。この仕事は、車を探すお客様と最初に接点をもつ仕事。対応の仕方でお店の第一印象が決まります。商談をする営業担当にも良いムードでバトンを渡さないといけません。重要な役割だけにやりがいを感じています。1日30名以上のお客様が来店されることもありますが、選んでもらえたこと自体がありがたいこと。感謝する気持ちを忘れずに、お帰りの際には笑顔で「ありがとう。」と言われるように心がけています。早く名前を覚えてもらえる存在になりたいですね。
年齢や職業などお客様のプロフィールはさまざまですが、どんな方にも気兼ねなく声を掛けられるようになったのは、学生時代の海外語学研修がきっかけです。アメリカで3週間学び、ホームステイを経験。もともと英語が好きだったこともあり参加したのですが、最初はコミュニケーションの壁に悩まされました。現地では、自分の意見や考えを曖昧に伝えていると理解してもらえないからです。鍛えられたおかげで、帰国する頃には誰に対しても積極的にアプローチできる自分に成長することができました。
学生時代、私に大きな気づきを与えてくれたのは、就職活動です。誰よりも早く企業研究をはじめ、対策をしたものの、最初は良い結果が出ませんでした。そして、ある面接で「アピールしたいこと、伝えられた?」と最後に聞かれたとき、我に返りました。調べた情報ばかりを話し、やりたいことを伝え切れていなかったのです。「できることは全部やった。」という思いこみが招いた結果だと反省しました。“今の自分に満足しないこと”。その大切さに気づいたことが、青陵短大でのいちばん大きな収穫です。
「相手の“笑顔の素”になれる仕事に就きたい。」そう思ったことがホテルを選んだきっかけです。勤務しているのは予約室。自ら志願しました。お客様と最初に接点をもち、宿泊プランなどをアピールする重要な役割のため、やりがいを感じています。名札がまだ“実習生”だった頃、はじめて予約をとったお客様から手紙をいただきました。「これから大変ですが、忘れないでください。佐藤さんが予約担当で良かったと感謝している人間が、1人は確実にいることを。」今も部屋に飾っている私の宝物です。
ウェディングプランナーとして働きはじめて4年目になります。数々の結婚式を企画してきましたが、式後にお二人から「ありがとう。」と声を掛けていただくときが、いちばん幸せですね。最高の一日を提供するために心がけているのは、新郎新婦の想いを汲み取ること。みなさん条件を出すことはできても、どんな結婚式にしたいのか答えに悩まれます。この仕事に正解はありません。お二人に目線を合わせながら、“見えないものをカタチにする”プランニングに今後も取り組んでいくつもりです。
ブライダル業界には、青陵短大に入学する前から憧れていました。ただ、自分に向いているのか自信が持てず、なかなか決心がつきませんでした。気持ちの整理ができたのは、ブライダル分野以外の勉強も幅広くできる短大だったからだと思います。卒業後の選択肢がたくさんある中で、最終的には「自分がいちばん好きなことを仕事にしよう。」と。たとえ高い壁にぶつかっても、好きなら奮起してがんばれるはずです。“自分探しの2年間”を過ごすことができて良かったと思っています。
入学した頃は、大学への編入学を考えていませんでした。大学を選ばなかった理由も、勉強に4年間没頭できる自信がなかったからです。卒業したら企業で働こうと考えていた私は、2年生になる直前まで就職活動をし、企業合同説明会にも数回参加していました。ただ、企業の話を聞きながら「社会の中で自分ができることをもっと増やしたい。」と思ったのです。可能性と視野を広げたくなったことが、途中で進路を変えた理由です。現在は、青陵短大時代から力を入れていた経済の勉強と、グローバル化していく社会で避けては通れない中国語の習得に励んでいます。目標は、興味のある金融業界で活躍することです。
今に満足しないで、たくさんのことを吸収したい。そして、自分を高めたい。意識が変わったのは、青陵短大で“自由”を与えられたからだと思います。好きな授業を選べるし、好きなだけ時間も使える。だからこそ受け身ではなく、積極的に動かないと何もはじまらない。これでいいと思えば成長は止まるし、身につくものも少ないと気づきました。
介護福祉士になって1年。今担当しているのは、このホームで暮らす認知症の方々です。援助していて感じるのは、認知症を患う利用者さんは、相手の感情を敏感に察知されているということ。少しでも安心してもらえるように、声のトーンを明るくし、笑顔を絶やさないように心がけています。うれしくなるのは、「早く帰って寝なさいよ。」と逆に“思いやり”をいただくとき。力がこみ上げてくる瞬間です。先輩方のような、姿が見えないだけで不安になるほどの存在に、自分もなりたいと思っています。
安心感を生むのは信頼関係であり、援助は“本人をいかに知るか”に尽きる。これは、学生時代に学んだことでした。特別養護老人ホームで認知症の方を担当したのですが、私はビーチボールを投げて身体機能を維持してもらうプランを立てました。若い頃バスケットの選手をされ、当時の話をするときは記憶も確か。見違えるほどいきいきする方だったからです。最初は元気がなかったのですが、時間を過ぎても「もっとやりたい。」とボールを何十往復とやりとりするほどに。貴重な体験でした。
学生時代は“いろんな人との関わり方”を学んだ2年間でした。利用者さんは、年齢も違えば、体調や症状も違います。中でも特別養護老人ホームでの介護実習で担当したのは、認知症を患ってコミュニケーションが成り立ちにくい方でした。共通の話題を探す中で私が選んだのは、ご家族の話。パートナーやお子さんには思い入れも深く、思い出をうれしそうに話してくださるからです。お話を聞ければ質問ができますし、会話もつながっていく。そのときの経験は今とても役立っています。
現在勤めている入所施設も、自立している方から寝たきりの方まで、利用者さんはさまざまです。とはいえ、ショートステイ型の施設なので、生活の中心はご自宅です。心がけているのは、援助しすぎないこと。家に帰ったとき困らないよう気をつけています。そして、笑顔。学生時代、実習先のスタッフの方に「しゃべれなくても、援助の経験が浅くても、その笑顔でいれば大丈夫。」と言われたことが、今も励みになっています。業務中心ではなく、利用者さん中心の介護をいつも意識しています。
担当しているのは4歳児クラスです。年少と年長の間にあたる子どもたちは、難しい年頃。大人びた面と子どもっぽい面、両方もっているからです。意見を聞いてほしいときもあれば、甘えたいときもある。“広い視野”と“こころの余裕”をもって支えようといつも意識しています。自分に課しているのは、全員に一人ひとり必ず言葉を掛けること。それが安心感になり、信頼関係につながるはずです。築けないと、いちばん大事な「幼稚園って楽しい!」という気持ちは芽生えないと思います。
学生時代、実習先で1日担任をやった日のことは今でも忘れられません。子どもたちと取り組んだのは“数字探しゲーム”。遊戯室に隠してある数字のカードを探しに行くという遊びで、学校で指導案を考えながら「ぜったいに盛り上がる。」と私は自信満々でした。しかし、はじめてみると、教室を出た子どもたちはうれしさのあまり走り出し・・・。収集がつかなくなってしまいました。学んだことが、現場で使えるとは限らない。“わかったつもり”が失敗を招くという教訓は、今の私に生かされています。
保育士は、私が保育園に通っていた頃から憧れの職業でした。ただ、青陵短大で子どもの援助について学ぶうちに、自分の意識も変わっていきました。楽器を使って遊ぶにしても、目的を“楽しむ”ことに置くのか“自分を表現する”ことに置くのかで、意味合いが大きく変わります。言葉だけが表現手段ではないことを伝えることも大切。成長のためには、どんな援助が必要なのか。その“引き出し”を増やすことができましたし、保育士という仕事の奥深さを学んだ2年間でした。
現在は、保育士として2歳児クラスを担当しています。できなかったことが、できるようになっていく。成長に寄り添えるよろこびを日々感じています。みんなで遊んでいても、家族と離れていれば、子どもたちは寂しいもの。安心してもらうために心がけているのは、“保育園のお母さん”になることです。「あなたのことが大好きだよ!」「可愛いよ!!」といつも温かい眼差しで見守り、関わっています。愛情を感じてもらうことが大切で、それが信頼関係になると思うからです。
入学と同時に地元を離れて、2年間で成長したと思うのは、“人との出会い”を大切にする気持ちが芽生えたことですね。ボランティア活動にも参加して、地域のお祭りを主催者側のスタッフとしてお手伝いをしました。集まった子どもたちやお年寄りに食べ物を配ったり、エコバッグを一緒につくったり。人見知りする性格だったのに、自分から声をかけて人とつながっていくことが楽しくなり、卒業後は地元に戻って、人の役に立てる仕事に就きたいと強く思うようにもなりました。 希望がかなって、現在は柏崎にある銀行の支店に勤めています。銀行を就職先に選んだのは、地元のいろんな人と関わりをもちながら暮らしを支えていきたいと思ったからです。1年目の今は、給与振込や手形・小切手の管理など、さまざまな業務を経験しながら知識を蓄えているところです。店頭で窓口業務を担当することになったとき、お客様のあらゆるご要望に応えられるように、先輩方から学んだことをノートに書き留めて、掘り下げて、自分のものにしていく毎日です。
ファッションの発信地で働きたい。夢をかなえようと選んだのは、東京のアパレル企業で、最初の勤務地は銀座でした。お店で接客をはじめた頃から、いつも娘さんの洋服を買いに来てくださるお客様がいました。現在の店舗に異動が決まり迎えた最終日、来店されたそのお客様にご挨拶すると、「残念だけど、高井さんならきっと素敵なお客様が付くわよ。がんばって」と言ってくださいました。この仕事は、ただ服を売るのではなくて、人と人との素敵な関係を築いていく仕事だと実感しました。 青陵短大で学んだことは、今の私にとても役に立っています。洋服を製作する実習では、繊維の種類や特性なども詳しく学べましたし、コーディネートを考える演習では、接客に欠かせないスキルがぎっしり詰まった授業でした。そして就職活動は、自分を見つめ直し、社会に出る責任を痛感した大きなきっかけになりました。仕事中に心がけていることは、お客様に笑顔で帰っていただき、またお会いしたいという気持ちを伝えることです。来店されたお客様には、メッセージを添えた葉書を必ず送るようにしています。
青陵短大で学んだいちばんの収穫は、自分の“強み”を知ったことです。就職活動のとき、客観的に自己分析をしてみようと先生や友だちに印象を尋ねてみたのです。“普段の明るさが人を笑顔にする”と聞いて、自分に自信が持てました。「今のあなたを見てくれる会社は必ずある。だから、がんばりすぎないこと。」と助言してくれたゼミの先生、「ありのままの玲奈が好きだよ。」と言ってくれた親友・・・すべての人に感謝しています。 フードコーディネーターや医療事務、色彩能力といった取得資格と自分の強みを生かして、卒業後はドラッグストアの社員として働けるこの会社を選びました。今は店舗で接客や食品売場の仕入れ、売場づくりを担当しています。まだ実習生だった頃、「以前このお店で買った薬がよく効いて。」と商品を探すお客様の対応をしたことがありました。持てる知識を働かせてお選びすると、「野村さん、助かったよ。」と“名前”を呼んでいただけました。後日、「この前はありがとう。よく効いたのでまた来ました。」と再び来店してくださいました。この仕事に就いて良かったと感激した瞬間です。
結婚式でゲストのおもてなしや新郎新婦のエスコートをするバンケットアドバイザーとして働いています。会場でお料理やお酒を楽しんでいただくのは当たり前のサービス。例えば、寒そうにされている方がいらっしゃれば膝掛けをお持ちしたり、杖をお持ちの方がいらっしゃればホルダーを側に置かせていただいたり。会場全体を見渡しながら、ゲストの皆様全員によろこんで帰っていただくために“プラスアルファ”の接客を常に心がけています。やりがいを感じるのは、お開き時に行なわれる新郎新婦のご挨拶を聞いているときです。一生に一度の儀式に様々な想いがあり、ひとつとして同じ結婚式がないことを実感できる瞬間です。お二人の人生の晴れ舞台を、スタッフのひとりとしてお手伝いさせていただくよろこびは、言葉にあらわせません。学生時代の2年間でもっとも大きな出来事は“就職活動”でした。将来の夢を、学びながら見つけたい。そう思って青陵短大を選んだ私はビジネスを中心に学んでいたのですが、キャンパスで行なわれた今勤めている会社の説明会で、ブライダル業界の魅力を知りました。お客様を幸せにするために働けるこの仕事に出会い、内定をもらうために無我夢中で取り組んだ毎日が、私にとっての成長です。
1年次の秋に参加した留学プログラムは、人生の転機と言えるほど貴重な体験になりました。3ヵ月間のアメリカ・シアトル生活。世界中から集まった留学生と授業を受けたのですが、自分の英語が通じないどころか、意見や想いを言葉にできない現実を思い知らされたのです。英語をそれなりに学んできたつもりでしたが、努力不足で考えが甘かった自分に気づき、それで火がつきました。もっと本格的に勉強して話せるようになろうと。この体験を境に、どんなことでも“自ら考えて動く”という、今の仕事に欠かせない積極性や責任感も生まれたと思います。 空港内のグランドホステスは、自分にとって理想の職業でした。お客様の搭乗手続をお手伝いしたり、到着ロビーへご案内したり。新潟-成田便が開設され外国人のお客様をサポートする機会も増えましたし、英語力を生かして接客サービスができることに大きなやりがいを感じています。この仕事は、新潟の“玄関”に立って海外や県外からのお客様をお迎えする仕事。経験が浅いところは笑顔と大きな声でカバーして、「また来たい。」と思ってもらえるコミュニケーションを心がけています。
高校時代は、家政科で食物を中心に勉強していました。ただ、青陵短大に入学した頃の私は、自分がめざしたい将来像や、何かをやり遂げたいという意志を持てずにいたんです。そこで、とにかく資格の勉強をしてみようと思いました。フードスペシャリスト、フードコーディネーター、パソコン・・・。いろんな資格を取得しましたが、あらためて気づいたことがあります。それは、“目標”ができるとがんばれる自分。ある意味で知識や資格を手に入れたこと以上に大きな収穫だったと思います。 卒業と同時に大学へ編入学したのですが、実は2年生の春まで就職活動をしていました。途中で進路を変えたのは、自分を見つめ直したとき、もっと勉強したいと思ったからです。福祉を学ぼうと思ったのは、亡くなった祖父が介護を必要とする生活をしていて「知識があれば、もっと支えになれたかもしれない。」と後悔したことがきっかけです。編入学生は勉強することが多くて大変ですが、心の支えでもあるクラスメイトもいますし、社会福祉士の資格を取るという大きな“目標”があるので、忙しい毎日が楽しいです。
寝ぐせをちょっと直すだけで感謝される。人生の大先輩でもあるお年寄りが、自分のような実習生にも「ありがとう」と頭を下げてくれる。学生時代、施設での実習で利用者さんとふれ合って、“人間としてのあり方”を学べたことが自分にとっては成長です。介護サービスを提供するプロフェッショナルであるという自覚と、あたかも孫のようにお付き合いしてもらえるフレンドリーさ。その両方を併せもつ自分でありたいと、介護福祉士になって思うようになりました。 このホームには100人近くの方々が暮らしています。自分にとっていちばんうれしいのは“笑顔になってもらうこと”ですが、そのためには一人ひとりに合った介護をしないといけません。ただ、逆にいえば、その“答え”はたくさんあるということ。同僚の介護も見習い、何にでも挑戦しながら、常に探究しています。自分のやり方が正しいのか悩むことも多いですが、だからこの仕事は面白いと思うんです。自分のキャラクターを生かして、ホームを賑やかに明るく盛り上げていきたいです。
介護福祉士になって3年目になります。私が現場に立っていて常に意識していること、大切だと思うことは、ご利用者の方に「こちらから声をかけること」です。はまゆうには特養で入所されている方からショートステイで訪れる方まで 80名程、滞在されています。大勢いる中のご利用者に一人でも多く「私のことをみてくれている」と思っていただける事が、ご利用者の方に安心感や幸せな気持ちを生むからです。 職員のお手伝いをご遠慮されるご利用者のご希望に沿うためにも、“現場スタッフ全員で情報を共有する"ことも大切です。些細な事でも見逃さずにスタッフ皆でご利用者を支えていくことで、「また、はまゆうを利用したい」と思って頂けたら何よりです。 ご利用者が“ありのままの自分"でいられるような環境を築いていきたいと思いながら、日々仕事に取り組んでいる私ですが、やる気に火がついたのは学生時代です。実習先の介護施設で生き生きと働くスタッフの方がキラキラと輝いて見えました。また、一緒に実習に参加した仲間の頑張っている姿を見て、「自分も頑張らなきゃ」という気持ちが高まりました。学んだことや感じたことを書き込んだ当時の実習日誌は今でも読み返すことがよくあります。 介護の職に就きたい、人の役に立ちたい、そんな学生時代の気持ちを忘れずに日々、業務を行っています。
学生時代に学んだことでいちばんの収穫は、“当たり前と思っていたことが、当たり前じゃない”と気づいたことだと思います。たとえば“ありがとう”という言葉。お友だちがモノを貸してくれても言えない園児がいたとしたら、それは悪気があるわけではなくて、まだ“なぜ言わないといけないのか”知らないだけ。もし言えたとしても、ただ言えばいいと私たち大人の真似をしているだけかもしれません。感謝の気持ちを伝え合うことのうれしさに気づいてもらい、“言葉の大切さ”を一から教えていく。それも幼稚園の先生の役割ということを実習で痛感しました。 3歳児クラスを担当して2年目になりますが、大人との目線の違いに今でもハッとさせられます。紅葉の季節になれば、「どうして葉っぱの色が変わるの?」と質問されたりします。子どもたちにとっては見るものすべてが初体験。その“初めて”がどうすれば良い気づきになるかを考えるのが私たちの務めだと思います。そのためにも、園児と同じ目線でいっしょに驚いたり、疑問を持ったり、笑える自分でいようと心がけています。
この保育園に就職して3年。現在は5歳児クラスを受け持っています。以前担当していた未満児クラスと違って、からだもこころも大きく成長していて、言葉で指示をしても動いてはくれません。最初はどう接していいのか戸惑いましたが、関わっていくうちに“背中”で教えることの大切さに気づきました。掃除のときも、散らかったブロックを片付けるときも、まずは自分が行動で示すこと。すると、私の姿をみて「モモコ先生!ボクも手伝うよ!!」と子どもたちも動いてくれるように。成長のスイッチを入れるために、自ら楽しんでやっていこうと思っています。 保育士に欠かせないのは、子どもや保護者の“目線”。それを学んだのは青陵短大の授業でした。中でも印象深いのが美術の実習。納涼会などの行事を想定して、来園してもらうためのポスターを制作したのですが、説明文を書いたり挿絵を描くにしても、どう表現すれば魅力が伝わるのか大いに悩みました。伝えたい人の気持ちやニーズを徹底的に考えた時間が、相手の目線を常に意識するきっかけを与えてくれました。
銀行に来られるかたの目的は、預金、振り込み、税金の払い込みなどさまざまです。いずれも大切なお金を扱いますので1円たりともミスは許されません。人に頼るのではなく、自分の責任で必ず確認すること。その積み重ねが信頼をつくっていくことになると思っています。以前は、窓口担当からまわってくる伝票をバックヤードで素早く処理して、再び窓口担当に戻すことが私の役割でした。これからは、いよいよお客様と直接お話をする窓口担当になります。学生時代に、目線の位置や声のトーンで相手が受ける印象も大きく変わるというこを"コミュニケーション論"で学んだので、その知識が生かせそうす。尊敬する先輩のもとには、頼りにして毎日たくさんのお客様がいらっしゃいます。金融商品についての豊富な知識はもちろん、細かい気配りや思いやりが信頼関係をより強くしているのだと思います。私はまだまだ経験も少ないので目の前の仕事で精いっぱいですが、1日も早く自分を訪ねて来てくださるお客さまをもてるように、日々経験を積んで勉強していきたいと思っています。
販売員にとっていちばん大切なことは、お客様の好みを察知して期待以上のご提案ができるかどうか。お召しになっている洋服やヘアスタイルや香水などから"好みのサイン"を読み取って、よろこんでいただけそうな商品を選びます。最近では、お店に入ってからどんな経路を歩き、どんな洋服に視線を落としたか、その行動や反応からニーズを読み取れるようになってきました。青陵短大で学んだコーディネートの基礎は、客観的な視点を交えて提案したい場面でとても役に立っています。私が働くお店は、比較的年齢層の高い女性がお客様の中心になるので、話題も若いかたと同じというわけにはいきません。買い物だけでなく会話まで楽しんでいただけるように、ニュースや芸能など情報のアンテナを幅広く張るようになりました。それでも最初の1着をご提案するときは今でも緊張しますし、常連のお客様ほど手に汗握る緊張感があります。「いい商品入りましたか?」には"私にとって"という意味が含まれています。お客様のことをどこまで理解できるか試されている。そう思って日々経験を積んでいます。
来店されたお客様に商品のご説明をして、要望に合った車種やグレードをご提案する、カーライフアドバイザーとして車の販売に携わっています。父の影響もあって元々クルマ好きで、接客の仕事に就きたかったこともこの仕事を選んだ理由です。入社当初は悔しい思いをしたこともありました。商談中のお客様から支払金額のご説明のときに、「責任者のかたに同席してもらえませんか?」と言われたこともあります。ただそれは、お客様のこころをつかむ力が足りないということ。そう実感して、普段から営業力を磨くための努力を欠かさないようにしています。お客様の立場になってみようと別のショールームにを訪れたり、アパレルショップでもお花屋さんでも入ったお店では店員さんの話し方や接客を観察したり。良いと思ったことはどんどん取り入れるようにしています。このショールームでは青陵短大の先輩も同じ職種で活躍しているのですが、お客様から名前で呼ばれることが多いんです。「頓所さんから買って良かったよ」とよろこんでくださるかたを、顧客リストに一人でも多く増やしていきたいと思っています。
加島屋は新潟でずっと愛されてきた老舗食品メーカーです。私はここで、注文された商品を迅速にお客様のもとへ届けるための情報管理を担当しています。お中元やお歳暮の時期には1日1000件以上を扱うこともあります。やりがいを感じるのはまさにそんなとき。注文が多いということは、それだけ加島屋の商品が世の中に広がって、さらに多くのお客様によろこんでいただくチャンスが増えることでもあるからです。管理画面の前で過ごすことも多いのですが、青陵短大に入るまではパソコンのスキルがありませんでした。キーボードをさわったこともなかったと思います。でも自分の強みをつくろうと、在学中に情報処理に関する資格の勉強を一生懸命やったことが、結果的に今の仕事につながりました。食べているとき、人はみんな笑顔になります。食品を扱う会社なら笑顔をつくることに貢献できると思ったことが、この会社で働きたいと思ったきっかけです。素材や味にこだわった加島屋の商品を、世界に送り出すいちばん最初の部分を任されている。そう思うと責任感とともにやる気がみなぎってきます。
認知症のかたを専門に介護する介護福祉士として働いています。認知症のかたの介護でいちばん難しいと感じているのは意思の疎通です。人によっては時間の感覚や状況を把握する力に波があるからです。たとえば、以前から入所されているかたが急に「今日はそろそろ帰るから家の人を呼んでほしい」とおっしゃったり。そんなときは、「ダメです」ではなく、「そうですよね。でも今日は家のかたがお仕事でいないんですよ」と心情を受けとめてから気持ちが落ち着くような話をするように心掛けています。学生時代の実習で何度も言われた「一つひとつの声掛けやかかわりを積み重ねていくことで、円滑な意思の疎通ができるようになり、それが信頼関係の構築につながっていく」ということを今実感しています。気持ちばかりでは良い介護はできません。正しい知識・技術を身につけてこそ一人ひとりに合わせたよりよい介護が提供できると考えています。介護の知識や技術はもちろん、医療やリハビリに関する知識も習得し、ご利用者の方々が充実した毎日を過ごせるよう、温かいケアを提供していきたいと思っています。
介護福祉士になったばかりの頃、認知症のかたとのコミュニケーションで悩んだ時期がありました。何気なくテレビを見ていたとき、「言われてうれしいことを言うようにしてみたら?」という言葉を聞いて気づいたのです。忙しさを理由にしてコミュニケーションをおろそかにしていたのかもしれないと。それからは「ありがとう」や「好きだよ」という言葉を意識して話すようにしました。すると、気難しいと思っていたそのかたが徐々にこころを開いてくださるようになって、今まで見えていなかったことが見えてきました。それ以来、お年寄りの体の変化はもちろん、こころの変化にも敏感になりました。最近笑顔が少ないと感じて看護師さんに伝えたら、脳梗塞の前兆だったことも。ここでいっしょに暮らすからには、充実した時間を過ごしていただきたいと思っています。集団生活ですのでどうしても食事や入浴などの時間帯は決まってしまいますが、利用者のかたを無理に当てはめるのではなく、できる限り一人ひとりの生活に合わせた介護がしたい。難しい課題だと思いますが、そこにはこだわっていきたいと思います。
援助や指導をする上で、大切にしていることが2つあります。ひとつは子どもたち一人ひとりをしっかり受けとめるということ。私のクラスには、17人の園児がいるのですが、1日に1回は全員にスポットライトが当たり、ヒーローやヒロインになれる時間を必ずつくるようにしています。そして、保護者のかたに子どもの成長をこまめにお伝えすること。我が子の成長のことなら些細なことでも知りたいはずです。「チャックを自分で閉められるようになりましたよ」「今日は友だちに自分でゴメンナサイができたんです」とご報告すると、とてもよろこんでいただけます。子どもたちにとって幼稚園は大好きな場所であってほしい。そのためには、誰よりも私が笑顔でいることが大切だと思っています。先生が楽しんでいなければ、その気持ちはすぐに子どもたちに伝わってしまうからです。在学中の実習では、"恥ずかしさを捨てる"ことで子どもと同じ目線にどれだけ近づけるかを学びました。先生は子どもたちよりも楽しむくらいがちょうどいい。日々成長する子どもたちに負けないように、私も成長していきたいです。
1歳児クラスの担任をしているのですが、子供たちが成長していく姿に毎日感動の連続です。ある日「あか先生、あか先生」と呼ぶ声がするので振り返ると、今まで先生としか呼べなかった子が、「あかしぇんしぇ(=はるか先生)」と私のことを呼んでいてくれたんです。そんなに小さな子どもに名前を呼ばれたのははじめての経験で、成長に寄り添う保育士の仕事の魅力に最初に触れた瞬間でした。ひとりで遊んでいた子どもたちが半年も経たないうちに友だちの名前を呼んで、みんなでキャッキャと笑いながら遊べるようになる様子も目の当たりにしました。成長の様子はきちんと保護者のかたにお伝えするのですが、そんなときは学生時代の"言葉指導法"という授業で習った、敬語の使い方や手紙の書き方などが役立っています。まだ保育士1年目。まわりの先生がたの良いところを見習いながら、いつか担任を任せてもらえるようにがんばっています。そのときにはおおきな家族のなかにいるような居心地の良いクラスをつくりたい。そう思っています。
銀行の仕事は小さなミスが大変なご迷惑につながります。窓口からまわってくる伝票の処理やさまざまな会社の給与の振り込み、企業から企業への送金などすべて大切なものばかり。入行したての頃は、その責任がプレッシャーに感じられ、押しつぶされそうになることもありました。でも、最近では、責任が大きい仕事だからこそやりがいも大きいのだと考えられるようになり、「もっといい方法があるのでは」と自分なりに日々、新しい仕事の仕方を工夫できるようになりました。お客様と直接お話しする機会もあるのですが、そのときには、短大時代に「上級ビジネス実務演習」で学んだお茶の出し方や電話応対の方法などがそのまま生かせています。また、授業で徹底されていたイスをきちんと机に入れることや、挨拶は顔を見てすることなど、社会人として当たり前の振る舞いが自然と身についたことも、とてもプラスになっています。これからは、もっとお客様に信頼していただけるよう、証券外務員、ファイナンシャルプランナーなどの資格取得をめざしたいと思います。銀行員として大切な笑顔を忘れずに。
カーライフアドバイザーとして、ショールームで車の販売をしています。車を探しに来店されるかたは、どの車にしようか迷っていたり、決めきれずに意見を求めにいらっしゃるという方がほとんどです。お客様からのご質問は車種のこと、整備のこと、保険のこと、査定のことなどさまざま。最初は聞かれても答えられず「担当を変えてほしい」と言われ、悔しくて泣いたこともありました。高いお買い物なので、逆の立場で考えたら当然です。それからは本気になって猛勉強しました。初めてご購入いただいたのは入社して半年たった頃。「軽で車内が広いものを」というご要望でした。どうして広いものをご希望されるのだろうと、もう一歩踏み込んでお聞きしたら「長距離で出かけることが多い」とのこと。もしかすると車内でお休みになることもあるのでは、と広くてくつろぎやすい車種をご紹介したところ大変よろんでいただけました。車をご購入いただくということは、その車とお客様の新しい人生がはじまるということ。私が売っているのは車ではなく「カーライフ」です。快適で安全な時間を提供できるようがんばっています。
新潟で長い間愛されてきた老舗食品メーカーが私の職場です。主な仕事は、電話、FAX、メールなどで受けた注文を正確にお客様のもとへ届けるための手配。忙しいときには1日2000件以上を扱うこともあります。事務作業がメインですが、ただの作業だと思えばそれで成長は止まってしまうもの。おいしい商品をもっとおいしくお客様にお届けするために、自分にできることはないかいつも考えています。たとえば言葉遣い。正しい敬語を使うのはもちろんですが、語尾を上げるのと下げるのでは相手に与える印象は全然ちがいます。そういった心配りの一つひとつも加島屋のおいしさなのだと思います。食に関する知識も大切で、塩分の身体への影響などをご説明する際には、短大のときの「フードマテリアル」の授業が役に立っています。おなかが満たされれば人は幸せを感じます。おいしければさらに幸せを感じます。でも、私がめざすのはその先です。おいしくて、「ここで買ってよかった」と思える満足感もプラスすること。お客様のことをいちばんに考え、これからもたくさんの幸せをお届けします。
衣裳フロントとして入社2年目。今までに50組以上の新郎新婦とそのご家族の衣裳をご提案してきました。ウェディングドレスには強い思い入れがあるかたも多く、基本的にはご要望に沿う色やデザインのドレスをご用意するのですが、その他にも300種類以上あるドレスのなかから、お客様自身も気づいていない魅力を引き出せそうなものもいっしょにご提案するように心掛けています。「自分では絶対に選ばないけど、すごくいい」と私の提案がよろこばれ、徐々に信頼関係ができてくると、「小出さん、このティアラどう思います?」「私は、こちらの方がお似合いだと思いますよ」「小出さんがそういうなら、そっちで」というようにほとんどお任せいただけることも。「素敵な衣裳をありがとうございました」と言っていただいたときなどは、一生に一度の衣裳を選ぶお手伝いができるこの仕事をとても誇りに思います。短大のとき経験した「サービス職総論」の実習での感動。今度は生みだす側として、満足いただける一着をご提案できるよう感性をさらに磨いていきたいです。
短大に入学したときは、卒業したらすぐに働きたいと思っていました。ところが1年の後期、アメリカ・シアトルに留学して考えが変わったのです。世界にはまだまだ1日1ドル以下で暮らしている人たちがいる。そして私も同じ世界に生きている。さまざまな国籍の留学生に囲まれていたのでその現実をより強く感じたのだと思います。「自分にもできることがあるのでは」とあらためて大学で学ぶことを決心しました。ゼミの先生は「大変だけどがんばれる?」と気にかけてくださいましたが、好きなことを勉強できると思えば、期待の方がはるかに大きく、国際政治と発展途上国の支援を学ぶべく新潟大学へ進みました。3年生への編入学とはいえ新しいことばかり。1年生のつもりで、はじめて知ることをどんどん吸収しています。編入学の試験では英語は必須でしたが、短大のときはいつもテストで100点を狙い勉強をしてきたので、それほど苦労することなく突破できました。将来は国際支援にかかわる仕事か、物流、貿易、商社など、世界とつながり世界を変えていける仕事ができればと考えています。
私が働く施設には、脳梗塞やケガから退院されたお年寄りがリハビリのためにいらっしゃいます。そのかたわらでプロとしてふさわしい介助をすることが私の役割。医師や看護師、理学療法士や作業療法士の方々とチームになってサポートしています。ときには辛いリハビリもあるので、1回きりで来なくなってしまうかたもいらっしゃいますが、それでは回復を遅らせてしまう。だからこそ介護福祉士にも、リハビリの合間やお手洗い、入浴のときには「また来たい」と思っていただける接し方が求められます。高齢者の介助方法は利用者の状態によってさまざまですが、基本は笑顔ではっきりと話すこと。そして、しゃがんで目線を同じ高さに合わせることが大切です。学校で基礎を徹底的に学んできたからこそ、応用ができる。やはりベースは大切です。ずっとおばあちゃん子で、近所のおばあちゃんたちにも可愛がってもらってきたので、これからは私の番。力になりたいですね。リハビリに意欲がわいて、この施設で過ごすことが楽しみになるように、がんばっていきます。
小学生の頃、祖母の自宅療養を家族みんなでサポートをしたことが福祉の道への最初の一歩でした。短大では「専門的に学んでもっとお年寄りの力になりたい」と介護のことを勉強しましたが、働きはじめた頃は落ち込んだ時期もあります。「お世話」のつもりが「余計なお世話」になってしまい怒られることもしばしば。だからといって、びくびくして介護の仕事が作業のようになってしまうのは絶対にいけないという思いもあり、今では自分なりにこだわりをもって仕事と向き合えるようになりました。たとえば食堂で食事ができず、部屋でひとりで食べないといけない利用者のかたには、こまめに声を掛けるようにすること。配膳と回収のときだけ会話を交わすのでは寂し過ぎますし、食事はやっぱり楽しく食べてほしいからです。「また来ますね」と言って部屋を出るときに「いつも一生懸命やってくれてありがとね」と微笑んでいただくと、本当にうれしくなります。余計なことだと言われても、まずは自分を信じて行動したいと思っています。これからの目標は、早く長岡の方言をマスターすること。利用者のかたにもっと安心していただける存在になりたいです。
先生になって3年目。今年は担任という立場ではなく、クラスの枠を超えて全体を見る「フリー教諭」として子どもたちを支え、音楽や工作をいっしょに楽しんでいます。特別な配慮が必要な子を担当しているのですが、ゆっくり時間をかけながら成長していく姿を間近で見ていると、健康な子どもの援助とはまた違ったよろこびを感じますし、自分にとっても貴重な経験になっています。私が得意なダンスを生かして行っている「ダンスであそぼう」という地域活動は、保護者と未就園の子どもたちを招いて子育てをサポートしているプログラムです。親御さんにとっては情報交換ができる場として、私にとってはご本人が抱える不安や悩みを直接お聞きできる機会としてとても勉強になっています。働きはじめた頃は不安だった保護者とのコミュニケーションも、ずいぶん自信がもてるようになったと思います。短大時代の体操ダンス部の経験がこんな形で生きるとは思ってもみませんでした。私にできることで子どもたちにも保護者のかたにも楽しい輪が生まれ、その輪がさらに広がっていけばうれしいですね。
保育士になって1年目のときは、自分と子どもたちの関係づくりに精一杯。子どもどうしの関係性にまでとても気がまわりませんでした。でも最近は、お互いに学び合って成長していく子どもたちを陰で支えることにやりがいを感じています。子どもたちは、決められたことをやっているときよりも、自分たちでアイデアを出して、みんなでいっしょに考えて、問題を乗り越えていくときの方が成長します。ですから、たとえばクッキングをする場合でも、「何をつくりたい?」「次はどうしたらいいと思う?」と本人の考えを引き出せるように導いていくことが大切です。ああでもない、こうでもないと先に進めないときは、「こういう考えはどうかな?」と良いアイデアをもっている子どもと引き合わせたり。うまくつないでいくことが私の役目だと思っています。子どもにとっては、保育園にいる時間が生活のすべてといっても過言ではありません。それは、私にとっても同じです。いっしょに時間を過ごしながら、常に温かいまなざしを向け、私自身も成長しつづけたいと思っています。
私が販売しているブランドは、独特の色使いが特徴的。母親世代から20代まで幅広く支持されているので「洗濯できるかしら」「結婚式に着たい」という声も多く、短大で学んだ繊維などの専門的な知識が役に立っています。お客様の雰囲気に合わせて選んだ服を、「自分では選ばなかったけれど」と気に入ってお買い上げいただけるととてもうれしい。私を指名してくれるお客様を増やして、キャリアアップしていきたいと思っています。
料理も好きだし、栄養素の働きにも関心がある。フードを学んできた私にとって、ドラッグストアはその知識を生かすことができる職場です。たとえば、かぜ薬をお求めのお客様には「あわせてビタミンを補給するといいですよ」とアドバイスすることもできますし、商品説明のポップにひと工夫することもできます。入社3年目には登録販売者の資格も取得したので、勉強をつづけながら後輩を指導し、育成するような立場をめざしたいです。
短大で学んだビジネスマナーは、相手を尊重する姿勢や自分の誠意をあらわすもの。約束の時間を守ることや、いつも笑顔で気持ちよく挨拶することなど、基本的なマナーの大切さを改めて感じています。整備、査定、保険、ローンなど、お客様のほうがよくご存じのこともあるのですが、まずは私自身が信頼される人間でありたい。「本橋さんがいるから」とご来店いただくうれしさを励みに、もっともっと学んでいくつもりです。
人前で話すのが苦手だった私が変わったきっかけは、短大でのホームステイ体験でした。現地の人々は、思うように英語で話せない私を受け入れ、理解しようとしてくれたのです。大切なのは伝えようとする気持ち。銀行の窓口でも、お客様の立場で客観的に物事をとらえ、どうしたらご満足いただけるかを考えることが大切です。今はまだ先輩や上司に教えられることばかりですが、いつかは同僚やお客様に頼りにされる存在になりたいと思います。
結婚披露宴の運営には、多くのスタッフの連携が欠かせません。アルバイトスタッフを含め、10名ほどのチームを責任者としてとりまとめるのが私の仕事。華やかさに憧れてめざしたサービス職の仕事ですが、素晴らしい式は地道な努力の積み重ねであることを知りました。新郎新婦や参列者から「いい式だった」「楽しかった」という声を聞くのが何よりのよろこび。もっと視野を広げて、どんな要望にも応えられるプロになりたいです。