大学からのお知らせ

平成29年度 短期大学部 入学式式辞

平成29年度入学式式辞の様子

新1号館は、贅沢な建物です。何がどう贅沢かを申し上げます。新1号館は大学生と短大生だけの建物ではありません。将来の大学、短大生、高校生を含んでの子供たちが集まって利用する施設でもあるのです。勿論、大学、短大を卒業後の生涯学習にも大いに役立って貰えるものと思っています。その為の設備にお金も掛けてありますし、デザインもそれに相応しいと考えます。容れ物があれば中身は放置しても良い訳ではありません。

平成29年度入学式式辞の様子

教育の真髄を謳うのにこれ以上はないと云われる詩句を掲示して貰いました。それは
「教えるとは共に希望を語ること。学ぶとはそれを胸に刻むこと。」です。
「共に希望を語る」と言って、教師が希望を持たなければなりません。教師は自分が果たせなかった希望の実現を生徒に托することが出来る。幸せな職業だと私は思っています。また果たせなかった希望を直接でなくとも、その無念を引き継いで別の分野で晴らして呉れる。そのどちらでもない人は先に生まれた意味での先生であっても師表と言える先生ではありません。「共に」と言っても教師がイニシアティブを取らねばならないのは当然のとして、生徒、学生が受け身、消極でばかり居て良い訳ではありません。啐啄と言う言葉があります。親鳥に温められた卵の中の雛がいよいよ卵の殻を破って出てくる時にコツコツと殻を突つく、その音を察して親鳥も嘴で殻を破るのを手伝うことを言います。

「共に希望」を「共に未来を語る」と読み替えた方が通りが良いようにも思います。身近な何かに夢中になる。それが明治維新前後西欧諸国は国民国家の成立が遅れた中東、アフリカ、アジアの国々を植民地として従属、支配しました。わが日本国が幕府を倒して国民国家を成立させた一番直接の火蓋は、吉田松陰の松下村塾で学んだ奇兵隊に依って切られました。それは一種のゲリラの様なものでした。成否は天に任せて宜しいのです。

共に語るべき希望と私利私慾との関係は悩ましい問題ですが、私は動機においての私利私慾は結果においての成否にも公益に貢献する度合いにも関係がないと思います。全てが天に任せる又は運に任せると言ったもので、ノーベル賞の受賞にも似通うと言ったら語弊があり過ぎるでしょうか?先述の吉田松陰の国民国家論も、関ヶ原の敗戦の責を問われ大幅な領地削減の怨みを300年間持ち続けた長州藩の私怨が晴らされた面があります。

平成29年度入学式式辞の様子

春の選抜高校野球が昨日終わりました。 野球には知識も経験もない私も名勝負に引き込まれてこの二週間を過ごしましたが、優勝の大阪桐蔭学園高校の監督の「野球一筋で全くの無趣味と云われています」の言葉に思わず笑ってしまいました。また江戸川大学の某助教授は野球一筋で、高校は8年の留年を覚悟し、大学は野球部に入り易い東大を選び、プロ野球では運動神経に隔絶の差があることに気付いて、野球経営を学びに渡米した経験を聴かされました。「共に希望を語る」とは、それぞれの人によって軽重の差があって宜しいのです。ただし其処に感動を与えるものが無ければならない。それだけを先生方にお願いいたします。

平成29年4月4日
新潟青陵大学短期大学部学長
関 昭一